ミッドシップ革命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/28 21:51 UTC 版)
「クーパー・カー・カンパニー」の記事における「ミッドシップ革命」の解説
1930年代のアウトウニオンPワーゲンがミッドシップ方式で成功した例があるものの、フォーミュラカーのエンジンレイアウトは1950年代も依然フロントエンジン・リヤドライブ(FR)方式が主流を占めていた。しかしF1におけるクーパーの活躍により、地殻変動のごとくミッドシップ化が進行することになる。クーパーのマシンは小型でエンジンも非力だったが、ミッドシップ特有の軽快なコーナリング性能を発揮し、フェラーリらのFRマシンを時代遅れなものにした。クーパーは1951年のインディ500にも挑戦し、大排気量車を相手に9位と健闘。その後ロータスの優勝もあり、アメリカのオープンホイールカーレースでもミッドシップ化が進むことになる。 ただし、最初にクーパー・500でミッドシップ方式を採ったのは「オートバイエンジンのチェーン駆動に適している」という現実的な理由であった。クーパーの設計思想はむしろ保守的・職人的であり、モノコックシャシーなど革新的な技術を打ちだすロータスに対しては、安全性を考慮し直ちに追随しなかった。
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