ミッキー・マントルの引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 01:07 UTC 版)
「1969年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ミッキー・マントルの引退」の解説
シーズン前の春のキャンプ地フォート・ローダーデールでヤンキースのミッキー・マントルは「もう野球ができない体になった」として引退を表明した。1964年にリーグ優勝して翌年から打率が.255 ー.288 ー.245ー.237と落ちていき、通算打率は.298で3割を割り、本塁打はこの4年間で82本で通算536本となった。デビューした時あれほど輝いていた彼の肉体は両足の故障に肩の痛みでボロボロであった。ウィリー・メイズはこの年に通算600本の大台にのせ、ハンク・アーロンは前年までに510本を打った。そして6月8日にヤンキースタジアムで「ミッキー・マントル・デー」として引退式が行われ、約6万1,000人の観客を前に「私はこれまで、まさに死のうとする人間がここに立って世界で一番幸せな人間だと言えるか、疑ってきました。今、私はルー・ゲーリックがどう感じたかが分かりました」と述べた。ワールドシリーズに12回出場して本塁打18本を打ったこと、今も最長記録の565フィート(172メートル)の特大本塁打を打ったこと、本塁打52本を打って三冠王を取ったことが彼の数少ない輝かしい記録である。1974年に親友のホワイティ・フォードとともに殿堂入りした。
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