マーヴィン・ゲイのデュエット・パートナーとして成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 14:05 UTC 版)
「タミー・テレル」の記事における「マーヴィン・ゲイのデュエット・パートナーとして成功」の解説
1967年早々に、タミーはモータウンによりマーヴィン・ゲイのデュエット・パートナーに選ばれる。マーヴィンは過去にメリー・ウェルズ、キム・ウェストンとのデュエットをリリースしていた。 マーヴィンはタミーと共にレコーディングするまで彼女がどの程度の実力か知らなかったようである。最初のレコーディングはアシュフォード&シンプソン作の「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」(Ain’t No Mountain High Enough)で、二人の歌は別々に録られ、デュエットのようにミックスされた。 この曲はビルボード・ホット100の19位、R&Bチャートの3位を記録。タミーは一躍スターの仲間入りを果たした。次作「ユア・プレシャス・ラヴ」(Your Precious Love)も同様にビルボード5位、R&Bチャート2位のヒットとなった。 1967年夏には彼らの最初の3枚のシングルも含まれたアルバム「ユナイテッド」(United)がリリースされ、R&Bアルバム・チャート7位を記録。 元来ステージ恐怖症であったマーヴィンであるが、タミーに触発され共にライヴ・パフォーマンスをするようにもなった。
※この「マーヴィン・ゲイのデュエット・パートナーとして成功」の解説は、「タミー・テレル」の解説の一部です。
「マーヴィン・ゲイのデュエット・パートナーとして成功」を含む「タミー・テレル」の記事については、「タミー・テレル」の概要を参照ください。
- マーヴィン・ゲイのデュエット・パートナーとして成功のページへのリンク