マーチャーシュ聖堂と三位一体広場とは? わかりやすく解説

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マーチャーシュ聖堂と三位一体広場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 23:44 UTC 版)

ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」の記事における「マーチャーシュ聖堂と三位一体広場」の解説

詳細は「マーチャーシュ聖堂」を参照 マーチャーシュ聖堂王宮の丘に残るカトリック聖堂である。正式名は「聖母マリア聖堂」で、1255年から1269年ベーラ4世建造した聖堂元になっている。現在「マーチャーシュ聖堂」の名で呼ばれるのは、マーチャーシュ1世大改築行い、高さ80 m の尖塔増築するなどしたことに由来する。 本来はゴシック様式聖堂だが、オスマン帝国領時代にはモスクとして使われていた。その後バロック様式での改築経て19世紀ネオ・ゴシック様式になって現在に至る。 ハンガリー王戴冠式にも用いられオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世1867年ハンガリー王フェレンツ・ヨージェフとして即位したのもこの場所であったオーストリア=ハンガリー帝国成立意味したその戴冠式の後、ブダペストでは国会議事堂後述)に代表される様々な建造物建てられ、現在にも残る町並み整えられていくことになる。 聖堂の前の広場が「三位一体広場」 (Szentháromság Tér) で、1712年から1713年にフィリップ・ウンゲリッヒによって建てられ三位一体像が残っている。これはもともとペスト終息したことの記念碑として建造されたものだった聖堂隣接するのが高級ホテルヒルトンホテルである。このホテル地元意向尊重し修道院廃墟なども取り込みつつ、周囲との景観配慮する形で建てられた。そのため、歴史地区にある外資系ホテルであるにもかかわらずブダペスト市民からもあまり批判的な声は聞かれないという。 マーチャーシュ聖堂 上から見たマーチャーシュ聖堂 マーチャーシュ聖堂夜景ヒルトンホテル

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