マンビジ攻略と「ユーフラテスの盾」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 02:35 UTC 版)
「シリア民主軍」の記事における「マンビジ攻略と「ユーフラテスの盾」」の解説
2016年6月、SDFはアメリカ軍の支援を受けて、アレッポ県マンビジの攻略に乗り出した。マンビジはISILが支配する都市でトルコ国境に近いため、物資が豊富できれいな水や電力が供給されていた。外国人戦闘員が多く、ジハーディ・ジョンもかつてこの町にいたとされる。ISIL側はイラクでファルージャの攻防戦に追われており、SDF数千人とアメリカ軍特殊部隊員200人という圧倒的な戦力での攻撃にさらされたため、敵の快進撃を許した。8月には残っていたISIL戦闘員が撤退し、シリア民主軍がマンビジ一帯を占領した。 しかし、SDFの台頭はクルドに警戒心を持つトルコ政府を刺激した。6月、トルコの大統領レジェップ・タイイップ・エルドアンは前年のロシア軍機撃墜を謝罪し、アサド政権打倒を棚上げしてロシアと和解した。そのうえで、親トルコのシリア反体制派勢力とトルコ軍による共同作戦「ユーフラテスの盾」を実行し、シリア北部のジャラーブルスとアアザーズの間をISILから奪い取った。これによってISILはトルコ国境から排除され、ロジャヴァにとっては更なる西進(アフリーンの飛び地解消)は不可能になった。
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