マリアナ・ビクトリア・デ・ボルボーンとは? わかりやすく解説

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マリアナ・ビクトリア・デ・ボルボーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/18 16:17 UTC 版)

マリアナ・ヴィトーリア
Mariana Vitória
ポルトガル王妃
在位 1750年7月31日 - 1777年2月24日

出生 1718年3月31日
スペイン王国マドリード
死去 (1781-01-15) 1781年1月15日(62歳没)
ポルトガル王国リスボン、リベイラ宮殿
埋葬 1781年1月17日
ポルトガル王国サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ修道院
結婚 1729年1月19日
エルヴァス
配偶者 ジョゼ1世
子女
父親 フェリペ5世
母親 エリザベッタ・ファルネーゼ
宗教 ローマ・カトリック
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マリアナ・ビクトリア・デ・ボルボンMariana Victoria de Borbon, 1718年3月31日 - 1781年1月15日)は、ポルトガルジョゼ1世の王妃。

ポルトガル語名はマリアナ・ヴィトーリアMariana Vitória)。

生涯

マリアナ・ビクトリア

スペインフェリペ5世と2度目の王妃エリザベッタ・ファルネーゼの長女としてマドリードで生まれた。エリザベッタに最も可愛がられ、「マリアニータ」と呼ばれていた。幼児期にフランス王太子ルイ(のちのルイ15世)と婚約し、フランスで養育されていたが、のち婚約が破棄されたので帰国した。

1729年にジョゼ王と結婚した。王との間には女子しか生まれなかったため、長女がマリア1世として即位することになった。1774年に王から摂政に任命され、王の死(1777年)まで統治に関わった。

子供

ポルトガル君主の配偶者
先代
マリア・アナ
ポルトガル王妃
1750年 - 1777年
次代
カルロッタ・ジョアキナ




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