ポスティング移籍問題
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入団当初からメジャーへの強い希望を持ち続けており、2004年オフにポスティングシステムによる翌2006年のメジャー移籍を直訴。当時の年俸3億3500万円を8500万円分減額して、FA権を取得するまでかかる4年間分の違約金を払うとまで申し出たが、球団首脳陣は頑としてポスティングシステム行使を容認せず、「わがまま」であると評したために、フロントとの感情的な対立に発展。そのシーズンは契約交渉がまとまらないままキャンプ入りした。ポスティング移籍拒否されたこの年から翌年にかけて、怪我などもあって成績が落ちたため、メディアの論調も厳しかった。結局、メジャー移籍を果たしたのは2009年の海外FA権取得後(5年後)で、現在も『ポスティングの12球団統一ルール』の施行を主張している。 菅野智之が2021年にポスティング申請してからの巨人残留となった際には「私自身がかつて巨人にポスティングを訴えたときは認めてもらえなかったが、もしも認めてくれていたなら、どの球団のどんな条件のオファーにも応じる覚悟だった」と批判的に論じた。
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