ボンヌ・ド・ベリーとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 実業家 > 貴族 > ヴァロワ家 > ボンヌ・ド・ベリーの意味・解説 

ボンヌ・ド・ベリー

(ボーナ・ディ・ベッリ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/12 07:11 UTC 版)

ボンヌ・ド・ベリー
Bonne de Berry

出生 1367年
フランス王国、メアン=シュル=イェーヴル城[1]
死去 1435年12月30日
フランス王国カルラ
埋葬 フランス王国ロデーズ、コルドリエ修道院
配偶者 サヴォイア伯アメデーオ7世
  アルマニャック伯ベルナール7世
子女 本文参照
家名 ヴァロワ家
父親 ベリー公ジャン1世
母親 ジャンヌ・ダルマニャック
テンプレートを表示

ボンヌ・ド・ベリーBonne de Berry, 1367年 - 1435年12月30日)は、フランスの貴族女性。フランス王族のベリー公ジャン1世と最初の妃ジャンヌ・ダルマニャック(アルマニャックジャン1世の娘)の長女[2]。モンパンシエ伯ジャン2世・ド・ベリーは兄、マリー・ド・ベリーは妹。イタリア名はボナ・ディ・ベッリBona di Berry)。

最初の夫サヴォイア伯アメデーオ7世の死後、1391年から1393年にかけて息子が幼少であった時に義母ボンヌ・ド・ブルボンに対して摂政権を主張したが失敗した。フランス王シャルル5世の姪として、フランス王国の同盟を強化することを目的とした外交工作において重要な役割を果たした。

生涯

サヴォイア伯との結婚

ボンヌは1372年5月7日、伯父シャルル5世から提供された10万フランの持参金により、サヴォイア伯アメデーオ7世と婚約した[1]。結婚は1377年1月18日にフランス王の立会いのもと行われたが、ボンヌが夫と暮らすためにサヴォイアに移ったのは1381年3月、14歳の時であった[1]

1391年にアメデーオ7世が破傷風で亡くなった後、幼少の息子アメデーオ8世の摂政位を巡って争いが起こり、アメデーオ7世の母ボンヌ・ド・ブルボンが新たな摂政となった。その結果、アメデーオ8世の母ボンヌ・ド・ベリーはモンメリアンで支持者とともに勢力を確立し、祖母ボンヌ・オブ・ブルボンはシャンベリで支持者とともに勢力を確立した。この対立は内戦に発展する危険があったが、1393年5月8日に署名された合意により解決されることになった。この合意はフランス王の介入により交渉が行われた。この合意に従って、ボンヌ・ド・ブルボンはフォーシニーの領主権をボンヌ・ド・ベリーに譲ることとなった。その後、ボンヌ・ド・ベリーは子供たちをサヴォイアに残してフランスのベリーに戻り、母親と一緒に暮らした。

アルマニャック伯との再婚

ボンヌは従兄弟にあたるアルマニャック伯ベルナール7世と再婚した。結婚契約は1393年12月2日に結ばれた[3]

ベルナール7世は、ボンヌ及び、娘のボンヌの夫であるオルレアン公シャルルを介したフランス王家との姻戚関係もあり、アルマニャック・ブルゴーニュ内戦英語版におけるアルマニャック派の形成に多大な影響力を持った[4]

ブルゴーニュ派アルマニャック派の系図


ジャン2世(善良王)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
シャルル5世(賢明王)
 
 
 
 
 
 
 
 
ベリー公
ジャン1世
 
 
 
 
 
ブルゴーニュ公
フィリップ2世(豪胆公)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
シャルル6世(狂気王)
 
イザボー
 
オルレアン公
ルイ
ボンヌ
 
(アルマニャック伯)
ベルナール7世
 
ジャン1世(無怖公)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
シャルル7世(勝利王)
 
 
 
シャルル
 
 
ボンヌ
 
 
 
フィリップ3世(善良公)
 
 

1415年、婿のオルレアン公シャルルがアジャンクールの戦いで捕虜となり幽閉された。また夫のベルナール7世は、1418年にパリで敗死した。

子女

サヴォイア伯アメデーオ7世との子女

アルマニャック伯ベルナール7世との子女

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c Autrand 2000, Chapter 17.
  2. ^ a b Samaran 1905, pp. 246–247.
  3. ^ Schnerb 2005, p. 105.
  4. ^ カルメット 2023, p. 193.
  5. ^ Vaughan 2002, p. 53.

参考文献





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ボンヌ・ド・ベリー」の関連用語

ボンヌ・ド・ベリーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ボンヌ・ド・ベリーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのボンヌ・ド・ベリー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS