ペーパースラッジ処理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 01:09 UTC 版)
「田子の浦港ヘドロ公害」の記事における「ペーパースラッジ処理」の解説
製紙会社は製造工程で発生するペーパースラッジの処理に悩まされ、愛鷹山や浮島沼、富士山南麓の大淵地区に不法投棄する例が後を絶たなかった。 富士市は本来生投棄は禁止していたが、一方で焼却場施設の建設も目処が立っていなかったため、一転して1975年に暫定的な生投棄を認めた。しかし生投棄による健康影響や環境保全観点からも監視が必要であり、富士市は集中的投棄(投棄する場所を特定させる)を模索した。また富士市議会公害対策委員会は製紙会社の自己所有の山林地への生投棄をも認めた。 1976年には市が生投棄場所を富士市桑崎に決定し、集中的な埋め立てが本格的に始まった。しかし莫大なペーパースラッジで、取得した土地はすぐに満杯となってしまった。そのため1977年に代わりに富士市神戸の土地を用意し同年2月より投棄を始めた。しかし反対の声も挙がり、なかなか進まなかった。そのため富士市議会公害対策特別委員会や他組織との協議の末、富士市大淵に土地を確保し、ここを新たな投棄場所とした。1978年になると長年課題であった焼却場施設の建設の話がまとまり、同年11月に焼却場建設の地鎮祭が行われ、1980年に稼働した。ここで初めて安全に処理される体制が整ったのである。
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