ペルシャ戦争とプラタイアの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/12 06:53 UTC 版)
「プラタイア」の記事における「ペルシャ戦争とプラタイアの戦い」の解説
紀元前492年、アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世は、ギリシアへの遠征を開始する(ペルシア戦争)。 マラトンの戦い(紀元前490年)では、プラタイアだけがアテナイの側に立って戦った。ヘロドトスは、他からの援軍を得られないままペルシャ遠征軍と対陣することとなったアテナイ人の絶望と恐怖を描写し、そこへアテナイの援軍としてプラタイア人が駆け付けたことを記す。プラタイアの軍勢は、将軍アリムネトスに率いられた「戦うことができる者すべて」(約1000人にのぼったと思われる)であった。アテナイは同盟国に感謝して左翼を任せた。戦後、プラタイアはアテナイと記念をともにし、アテナイの宗教的儀式やゲームなどでアテネの守護神の加護を祈ることが認められた。 紀元前479年には、プラタイアの地でプラタイアの戦いが行われた。この戦いでアテナイ・スパルタ・コリントスなどのギリシャ連合軍は、ペルシャとペルシャに味方するテーバイなどの諸都市の連合軍を打ち破った。この戦いによって、クセルクセス1世によって企てられたペルシアの二度目の侵入は撃退された。
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