ヘロン・スズキ時代(1980年 - 1983年)
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「ジェレミー・バージェス」の記事における「ヘロン・スズキ時代(1980年 - 1983年)」の解説
1980年2月、自身のレース活動を広げようと考えたバージェスは本場のグランプリレースを見るためにヨーロッパに渡った。しかし実際のレースを目の当たりにしてすぐに自分がグランプリに出場するには歳を取りすぎており、またその為の資金も足りないということを悟った。 バージェスはイングランドのサリーにあった友人の家に滞在していたが、この友人がスズキUK(スズキのイギリス現地法人)で働いていたことから、自分をテキサコ・ヘロン・スズキチーム(南ロンドンのベディングトン・レーンに拠点を置いていたスズキのグランプリチーム)にメカニックとして紹介してくれるように頼んだ。この時すでに、バージェスはオーストラリアやニュージーランドでのレースを通じてヘロン・スズキのライダーであるグレーム・クロスビーやランディ・マモラ、メカニックのミック・スミス、チーフエンジニアのジョージ・ブコマノビッチらと知り合いだったのである。 こうしてマモラのメカニックとしてグランプリチームに加わると、その年の7月に行われたベルギーGPでマモラはグランプリ初優勝を挙げた。バージェスは1983年までスズキでマモラとブコマノビッチと共に働いた後、その後21年間に渡って在籍することになるホンダに移籍した。
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