ヘルヴェチア・ヒュッテとは? わかりやすく解説

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ヘルヴェチア・ヒュッテ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/05 13:43 UTC 版)

ヘルヴェチア・ヒュッテ
情報
用途 山小屋
設計者 マックス・ヒンデル
施工 水本小半治[1]
管理運営 北海道大学山岳部
構造形式 木造高床式
竣工 1927年(昭和2年)
所在地 北海道札幌市南区定山渓
座標 北緯43度4分24.8秒 東経141度6分9.1秒 / 北緯43.073556度 東経141.102528度 / 43.073556; 141.102528座標: 北緯43度4分24.8秒 東経141度6分9.1秒 / 北緯43.073556度 東経141.102528度 / 43.073556; 141.102528
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ヘルヴェチア・ヒュッテドイツ語 : Helvetia Hütte)は、北海道札幌市南区定山渓にある山小屋。「Helvetia」とはスイスの古名である[2]ヘルベチア・ヒュッテとも表記される[2]

1927年(昭和2年)、スイスの建築家マックス・ヒンデル北海道大学講師アーノルド・グブラー、同大学教授・山崎春雄らによって建てられた[2]。ヒンデルが横浜に転居する前の、札幌在住中最後の作品である[1]。山崎の名義となっているのは、当時の日本では外国人名義が許可されなかったため[1]。その後、1934年(昭和9年)に北海道大学に寄贈され、1985年(昭和60年)に改修を受けた[1]

北海道道1号小樽定山渓線沿いのシラカンバ林の中にひっそりと建つ。朝里岳余市岳白井岳登山基地として愛好された[3]

屋根は柾葺き。入り口や脇の雨戸には、白地に赤の放射線模様が施されている。また入り口の上には魔除けの人面彫刻と、竣工年を示す「1927」の文字が掲げられている[1]

1988年(昭和63年)に札幌市創建120年を記念して選定されたさっぽろ・ふるさと文化百選のNo.044に「ヘルベチアヒュッテ」が選ばれている[4]

脚注

  1. ^ a b c d e 『札幌の建築探訪』p.131
  2. ^ a b c 山小屋 | 学生生活”. 北海道大学. 2024年11月20日閲覧。
  3. ^ 『札幌の山々』p.234
  4. ^ さっぽろ・ふるさと文化百選”. 札幌市. 2024年11月20日閲覧。

参考文献

  • 『札幌の山々』札幌市教育委員会文化資料室 編、北海道新聞社〈さっぽろ文庫48〉、1989年。ISBN 4893630474
  • 『札幌の建築探訪』北海道近代建築研究会 編, 角幸博 監修、北海道新聞社、1998年10月30日。 ISBN 978-4-89363-993-6



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