プロ入りとデビルレイズ傘下時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 08:32 UTC 版)
「ジェイソン・プライディ」の記事における「プロ入りとデビルレイズ傘下時代」の解説
2002年のMLBドラフト2巡目(全体43位)でタンパベイ・デビルレイズから指名され、プロ入り。この年は傘下のアパラチアンリーグのルーキー級プリンストン・デビルレイズ(英語版)とA-級ハドソンバレー・レネゲーズでプレーし、2球団合計で75試合に出場して打率.366・8本塁打・34打点・13盗塁の成績を残した。 2003年はA級チャールストン・リバードッグスでプレーし、128試合に出場して打率.260・7本塁打・48打点・26盗塁の成績を残した。 2004年もA級チャールストンでプレーし、128試合に出場して打率.276・17本塁打・86打点・17盗塁の成績を残した。 2005年はA+級バイセイリア・オークスとAA級モンゴメリー・ビスケッツでプレーし、2球団合計で29試合に出場して打率.219・3本塁打・8打点・5盗塁の成績を残した。 2006年はAA級モンゴメリーでプレーし、132試合に出場して打率.230・5本塁打・34打点・16盗塁の成績を残した。 2007年はAA級モンゴメリーとAAA級ダーラム・ブルズでプレーし、2球団合計で134試合に出場して打率.303・14本塁打・66打点・26盗塁の成績を残した。
※この「プロ入りとデビルレイズ傘下時代」の解説は、「ジェイソン・プライディ」の解説の一部です。
「プロ入りとデビルレイズ傘下時代」を含む「ジェイソン・プライディ」の記事については、「ジェイソン・プライディ」の概要を参照ください。
- プロ入りとデビルレイズ傘下時代のページへのリンク