プロヴァンス伯継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 08:23 UTC 版)
「カルロ1世 (シチリア王)」の記事における「プロヴァンス伯継承」の解説
1246年にシャルルはプロヴァンス伯レーモン・ベランジェ4世の末娘ベアトリスと結婚し、プロヴァンス伯領を継承した。さらに、1247年にフランス王家からアンジュー、メーヌ伯領を親王采地として受け取った。しかし、プロヴァンス伯の妻のベアトリスや他の娘たちは、末娘のプロヴァンス継承に不満を唱えた。さらに、プロヴァンスは法的には神聖ローマ帝国(アルル・ブルグント王国)領であり、支配下の諸侯やマルセイユ、アルル、アヴィニョン等の都市は大幅な自治を享受していたため、まもなくシャルルのフランス風の集権的な支配に対して不満を持ち、反乱を起こすようになった。シャルルが完全にプロヴァンスの反乱を鎮圧するには1262年までかかった。
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