プロトアクチニウムの発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 07:51 UTC 版)
「リーゼ・マイトナー」の記事における「プロトアクチニウムの発見」の解説
マイトナーはハーンと共に、アクチニウムに関する研究を行った。アクチニウムはウランを含む鉱物で発見されることから、ウランと関わりがあることが分かっていたが、ウランが原子崩壊して直接アクチニウムが生み出されるという現象は観測されていなかった。そのため、順番としては、ウランの原子崩壊により、アクチニウムとは別の原子が生み出され、その原子(母物質)がさらに崩壊してアクチニウム(娘物質)になると推測されていた。 1913年、フレデリック・ソディらにより、アクチニウムは母物質がα崩壊して生み出されることが理論的に導き出された。この未知の母物質はエカタンタルと呼ばれていた。 マイトナーとハーンは、ウラン鉱のピッチブレンドを硝酸で溶かして得た二酸化ケイ素(SiO2)の沈殿物の中に、タンタルに似た物質が含まれていることを発見した。そこで、この沈殿物からエカタンタルを見つけ出そうとした。 1917年、この二酸化ケイ素の沈殿物から、これまで見られなかったアクチニウムの存在が確認された。これは、この沈殿物から新たにアクチニウムが生まれたこと、つまり、この沈殿物の中にアクチニウムの元となる物質、つまりエカタンタルが存在することを意味していた。 マイトナーはさらに、この沈殿物をフッ酸や濃硫酸を使って分離させ、α線の観測を行った(ハーンは従軍していたため、実験はマイトナー1人で行うことが多かった)。測定の結果、この物質はα線を放出していることが分かった。さらに実験を続けることで、この物質からはアクチニウムが生成されることが明らかになった(アクチニウムの存在を直接観測することは難しいため、アクチニウムが崩壊してできる崩壊生成物を測定することで確かめた)。 こうしてマイトナーは、ピッチブレンドからエカタンタルを発見することに成功した。この元素名を名付けるにあたって、シュテファン・マイヤーに相談したところ、(リーゼにちなんで)リーゾニウムまたはリーゾットニウムにしたらどうかと提案されたが、最終的にプロトアクチニウムと名付けた。
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