プレーヤーズ・リーグの設立
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「1889年のメジャーリーグベースボール」の記事における「プレーヤーズ・リーグの設立」の解説
この世界旅行に行っている間に、1885年にジョン・モンゴメリー・ウォード(モンテ・ウォード)が主導して結成した選手組合と1887年のシーズン終了後に協定を結んだナショナルリーグの各球団のオーナーたちが、選手の年俸を制限する動きに出てきた。これは選手をA・B・C・D・Eの5段階に分けて、年俸を1500ドルから2500ドルまでに制限する内容であった。そしてこの1889年のシーズンに入ってからも選手たちの不満は高まった。彼らは連盟に不服を申し立てたがリーグの首脳部はシーズン終了までは如何なる交渉も応じられないとして拒否された。そこで選手組合は秘密の会合を重ねた結果、プレーヤーズ・リーグの設立を決意して、12月16日に選手組合主導の形でプレーヤーズ・リーグが誕生し、それぞれが同じ数の選手と経営者からなる中央運営委員会が統括してオーナー制を認めなかった。加盟都市はニューヨーク、ボストン、フィラデルフィア、ブルックリン、シカゴ、ピッツバーグ、クリーブランド、バファローの8都市であった。
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