プリンス・バスターとのクラッシュ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 07:46 UTC 版)
「デリック・モーガン」の記事における「プリンス・バスターとのクラッシュ」の解説
レスリー・コンの下で録音した「You Don't Know」はさらに大きなヒットとなった。「You Don't Know」は後に、ミリセント・"パッツィ"・トッドとのデュエットのスカ楽曲として、「Housewives' Choice」と改題され、再発表された。 しかし、この「Housewives' Choice」の歌詞が盗作であるとプリンス・バスターが噛み付いたことをきっかけに、モーガンとバスターとの間にはライバル関係が生じた。バスターはすぐにモーガンとプロデューサーのレスリー・コンを揶揄し、攻撃した楽曲「Blackhead Chiney Man」を発表したが、モーガンは「Blazing Fire」でこれに反撃した。バスターは「Watch It Blackhead」で再攻撃したが、モーガンは「No Raise No Praise」と「Still Insist」の二曲で再反撃した。 これによりファン同士の抗争が激化してしまったため、二人の間にジャマイカ政府が介入し、二人が友人としてステージに上がっている写真の撮影が行われ、ジャマイカ音楽史上初のアーティスト同士のクラッシュは終焉した。
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