プシャミトラの死と衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 18:29 UTC 版)
「シュンガ朝」の記事における「プシャミトラの死と衰退」の解説
プシャミトラが紀元前144年頃死去すると、王子のアグニミトラが王位を継いだ。彼は父王の治世時代から地方総督として活動している。ヴァースジェーシタ(ジェータミトラ)王、継いでヴァースミトラが即位する頃にはギリシア人の侵攻も一段落し、その王アンティアルキダスなどとの間に使節のやりとりも持たれるようになった。 以後の王については不明点が多く大雑把にしか分からない。最後の王デーヴァブーティは大臣のヴァースデーヴァ(ヴァスデーヴァ)によって王位を奪われたが、その際の状況も詳しくは分からない。伝説によればデーヴァブーティは放蕩に耽る無能な王であったため、大臣ヴァースデーヴァはそれを利用して奴隷女を王妃に扮装させて暗殺させたという。
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