プシャミトラの治世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 18:29 UTC 版)
プシャミトラは王位を得るとパータリプトラを引き続き首都として、ガンジス川流域を中心にマウリヤ朝の旧領土を継承した。ただしマウリヤ朝はその末期には分裂状態にあり、プシャミトラもかつてマウリヤ朝が支配した領域全てを制圧するには到底到らなかった。特に中央インドでは新たにウィダルバ国が創建されシュンガ朝の強力な敵となった他、北西インドにはギリシア人が勢力を持っていた。 プシャミトラはインドの著名な文法学者パタンジャリと同時代の人物であったといわれている。パタンジャリの記録によればヤヴァナ(インド・グリーク朝(アレクサンダー大王以後もインドにとどまったギリシャ人の国))の王がサーケータ市とマディヤミカー市を包囲したとあり、これはプシャミトラ治世下のことであったと考えられている。 このギリシア人はバクトリア系の集団であったと考えられているが、王が誰であったのかについては議論がある。メナンドロス1世とする説が有力であるが、デメトリオス2世とする説やまったく別の王とする説も存在する。また中央インドに侵入したギリシア人を、王子ヴァースミトラ(ヴァスミトラ)の指揮するシュンガ軍が撃退したという記録が存在するなど、当時シュンガ朝の主要な脅威はギリシア人の来寇であった。
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