プガチョフの生い立ち
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「プガチョフの乱」の記事における「プガチョフの生い立ち」の解説
エメリヤン・プガチョフは、1740年(あるいは1742年)、ヤイク川(この反乱後、ロシア語名がウラル川に変更される)地方のドン・コサックの小地主の息子として生まれ、1758年にコサックの娘と結婚すると七年戦争や第1次露土戦争などにコサック軍で出征する。陣中では優秀なコサックとして頭角を表し、指揮職のひとつ、少尉(「ホルーンジイ」)に任ぜられている。ベンデルの包囲戦のあと傷病兵となり、姉の夫の逃亡計画に加担したことをきっかけに、数年を放浪して過ごす。そのため何度か逮捕される。1773年以降、古儀式派の教えに触れ、信仰するようになる。
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