ブラック・ヒルズへの侵入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 16:12 UTC 版)
「ジョージ・アームストロング・カスター」の記事における「ブラック・ヒルズへの侵入」の解説
1873年、カスターはダコタの鉄道職員を防衛する戦いに赴き、トング川の戦いでスー族と交戦した。これが全面戦争にならなかったのは、不況で鉄道建設資金が枯渇したからだった。合衆国は1868年に締結した「ララミー砦の条約」に違反し、「ブラックヒルズ」に鉄道建設の前線基地を建設する計画を立てた。 1874年、偵察隊を率いて不可侵地「ブラックヒルズ」に侵入したカスターはそこで金鉱を発見した。性急で名誉欲の強いカスターは、この報告が全米に新聞報道されることで名声を得ようと、微量な発見であるのに「そこここに転がる金をブーツで蹴られるほどだ」と誇大に報告した。こうして不可侵地の「ブラックヒルズ」はゴールドラッシュに沸くこととなり、一獲千金を夢見る白人たちによって蹂躙される事となり、白人が踏み荒らした道は以後、「カスター道(Custer's Trail)」と呼ばれるようになった。この土地は現在ではサウスダコタ州カスター市となっており、「ウーンデッド・ニー占拠事件」の発端の場所のひとつともなっている。
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