ブラックソックス事件とコミスキー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/04 09:57 UTC 版)
「チャールズ・コミスキー」の記事における「ブラックソックス事件とコミスキー」の解説
ブラックソックス事件は、コミスキーが極端な吝嗇家であったことが原因だといわれている。以前からコミスキーは洗濯代を惜しんで黒く汚れたユニフォームを選手に着させていた。そのせいでチームは事件前から「ブラックソックス」と呼ばれていた。洗濯代を選手から徴収しており、選手が勝手にクリーニングに出したら罰金を取ったこともあるという。 セミプロでさえ年に5000ドル稼いでいた時代に、選手には多くても6000ドルしか支払わなかった。ディッキー・カーという選手は、この薄給に業を煮やしてセミプロに移籍した。そのため彼は球界を永久追放になってしまった。一番ひどいケースは、ブラックソックス事件にも関わったエディ・シーコットである。シーコットは1917年には28勝してチームをリーグ優勝に導いたのに3500ドルしか貰っていなかった。これらのエピソードが物語るとおり、ブラックソックス事件に関わったものが全面的に悪いとは必ずしもいえない。 ブラックソックス事件を受けてコミッショナー制度が導入され、ホワイトソックスの選手8人は永久追放処分を受けた。一方、オーナーのコミスキーは処分を受けることなく、のちに野球殿堂入りなどの名誉を得ることとなった。処分の不公平感などから、永久追放処分されたホワイトソックスの選手8人は「悲運の8人」(アンラッキー・エイト)と同情が寄せられることになった。
※この「ブラックソックス事件とコミスキー」の解説は、「チャールズ・コミスキー」の解説の一部です。
「ブラックソックス事件とコミスキー」を含む「チャールズ・コミスキー」の記事については、「チャールズ・コミスキー」の概要を参照ください。
- ブラックソックス事件とコミスキーのページへのリンク