フローレス (ペテン県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/19 19:09 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動フローレス Flores |
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![]() フローレス島 |
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位置 | |
座標 : 北緯16度55分47秒 西経89度53分30秒 / 北緯16.92972度 西経89.89167度 | |
歴史 | |
建設 | 1831年[1] |
行政 | |
国 | ![]() |
県 | ペテン県 |
市 | フローレス |
人口 | |
人口 | (2002年現在) |
市域 | 30,897[2]人 |
その他 | |
等時帯 | 中部標準時 (UTC-6) |
座標: 北緯16度55分47秒 西経89度53分30秒 / 北緯16.92972度 西経89.89167度
フローレス(Flores)は、グアテマラ北部ペテン県の県都。ペテン県中央部のペテン・イツァ湖に浮かぶフローレス島、および湖の南岸のサンタ・エレナから構成される。両者は陸橋によって結ばれている。
地理・交通
フローレス島の中心部にはペテン県の県庁などの政府機関の建物、教会、広場がある。島は静かで、パステルカラーの建物が立ちならぶ[3]。
それに対してサンタ・エレナ側は商業の中心で、現代的な町である。東の郊外にムンド・マヤ国際空港があり、グアテマラシティやベリーズシティと結ばれている。この2都市とは長距離バスでも結ばれている。
ペテン県にはティカル、ワシャクトゥン、ヤシュハ、エル・ミラドールなどの有名なマヤ遺跡があり、フローレスは遺跡を訪れる人の出発地として使われる。
フローレス自身も本来はタヤサル(より正確にはノフペテン)というイツァ族の中心都市だったが、現在はすべて破壊されてしまい、歴史的に見るべきものは残っていない[3]。タヤサルという名前の考古学遺跡はあるが、フローレス島ではなく北隣のタヤサル半島に位置する。
中央広場には3つの石碑が置かれている。ひとつは東のイシュルの石碑2号(879年)、ひとつは楕円形のイシュル祭壇1号、ひとつはフローレス石碑1号(869年、道路の舗装に使われていた)である[4]。
サンタ・エレナ側の南にアクトゥン・カン(蛇の洞穴)という洞窟がある。
歴史
フローレス島にはかつてイツァ族のマヤ王国の首都であるタヤサル(ノフペテン)があった。
1525年、ホンジュラス遠征中のエルナン・コルテスの一行がタヤサルを通過し、カネク王に歓迎された[5]。16世紀にスペイン人はユカタン半島と高地マヤを征服したが、ペテン地方までは手が届かず、イツァ族は独立を保ち続けた。
17世紀になると宣教師が何回か布教を試みたが、成功しなかった[6]。ユカタン総督のマルティン・デ・ウルスアは1697年3月13日にタヤサルを軍事的に征服した[7]。
島はレメディオスと名づけられ、プレシディオ(要塞)が築かれた。スペインからの独立後、1831年に市制を敷くときに、殺された自由主義政治家シリロ・フローレスを記念してレメディオスからフローレスに改名された[8]。
脚注
- ^ El Municipio de Flores, Manmuni Petén Itza (スペイン語)
- ^ Censos Nacionales XI de Población y VI de Habitación 2002. Instituto Nacional de Estadística Guatemala. (2003). p. 72 .
- ^ a b Al Argueta (2015) [2001]. Moon Guatemala (5th ed.). Avalon Travel. pp. 292-295. ISBN 9781631211317.
- ^ Kelly (1996) p.111
- ^ 八杉(1990) pp.14-16
- ^ 八杉(1990) pp.12-17
- ^ 八杉(1990) p.18
- ^ Schwartz (1990) p.37
参考文献
- 八杉佳穂『マヤ興亡:文明の盛衰は何を語るか?』福武書店、1990年。 ISBN 4828833218。
- Kelly, Joyce (1996). An Archaeological Guide to Northern Central America: Belize, Guatemala, Honduras, and El Salvador. University of Oklahoma Press. ISBN 0806128615.
- Schwartz, Norman B. (1990). Forest Society: A Social History of Petén, Guatemala. University of Pennsylvania Press. ISBN 0812213165.
「フローレス (ペテン県)」の例文・使い方・用例・文例
- フローレス原人はジャワ原人から進化した可能性をある研究が示(し)唆(さ)
- 東京大学と国立科学博物館の研究者たちが先日,フローレス原人は初期のジャワ原人から進化したことを示(し)唆(さ)する論文を発表した。
- フローレス原人は1万2000年前までインドネシアのフローレス島に生息していたと言われている。
- フローレス原人は身長が1メートルほどしかなかった。
- 日本人研究者たちはコンピューター断層撮影法(CT)を使って,フローレス原人の頭(ず)蓋(がい)骨(こつ)をスキャンし,その種(しゅ)の脳のサイズを測定した。
- この研究結果は,フローレス島に住んでいた初期のジャワ原人が環境に適応する際に小さくなったという仮説を裏付けている。
- このようにして,ジャワ原人は最終的にフローレス原人になったのだ。
- また,この骨はフローレス原人のものでもないようだ。
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