フレデリック・ワルトマンとは? わかりやすく解説

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フレデリック・ワルトマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/05 04:31 UTC 版)

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フレデリック・ワルトマン(Frederic Waldman, 1903年4月17日 - 1995年12月1日[1])は、オーストリア出身の指揮者[2]

ウィーンの出身。1918年からリヒャルト・ロベルトに個人的にピアノを学び、ゲオルク・セルに指揮法、カール・ヴァイグルに作曲を学んだ。その後はリハーサル・ピアニストとして活動し、1930年代にはリヒャルト・シュトラウスアルトゥーロ・トスカニーニの指揮する公演にコーチとして参加し、ヨース・バレエ団でも指揮をするようになった。1935年にはイギリスに移り、1941年にニューヨークに発つまで指揮法の教師を務めた。ニューヨークに移ってからは、ピアノ伴奏者として活動しつつ、マネス大学で指揮法の講座を受け持ち、1947年から20年に渡ってジュリアード音楽院で指揮法の教授を務めた。1950年代に入ってからはジュリアード音楽院のオペラの監督も任されるようになり、ルイジ・ダッラピッコラの《囚人》やリヒャルト・シュトラウスの《カプリッチョ》等の作品をアメリカに紹介した。1957年からは、自ら室内オーケストラのムジカ・エテルナを結成し、自ら指揮者として演奏会を企画・運営するようになった。1985年に演奏活動を引退。

マンハッタンの自宅にて逝去。

脚注

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  1. ^ アーカイブ 2016年3月7日 - ウェイバックマシン
  2. ^ アーカイブ 2016年3月7日 - ウェイバックマシン



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