フラミニヌスの和平
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:32 UTC 版)
「第二次マケドニア戦争」の記事における「フラミニヌスの和平」の解説
停戦が宣言され、テンペの谷(en)で講和会議が開催された。ピリッポスはギリシア全土から撤退し、征服したトラキアと小アジアを放棄することに合意した。ローマと同盟して戦ったアエトリア同盟はピリッポスに領土割譲を求めたが、フラミニヌスはこれを受け入れなかった。合意内容は批准のためにローマに送られた。元老院は、賠償金の支払いと海軍の降伏を条件に付け加えた。紀元前196年、講和条約は発効しその年のイストミア大祭において、フラミニヌスは「ギリシアの自由」を宣言した。にも関わらず、ローマはマケドニア側の戦略上重要な都市であるコリントス、ハルキス、デメトリア(en)に紀元前194年まで駐屯を続けた。
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