フェラーリ離脱後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 02:40 UTC 版)
「パトリック・タンベイ」の記事における「フェラーリ離脱後」の解説
1984年、タンベイはミケーレ・アルボレートの加入に伴いフェラーリを去ることとなり、ルノーに移籍する。第5戦フランスGPでは予選でPPを獲得し、決勝でも2位に入っている。しかし、チームはすでに勢いを失っており、最終的に入賞は4度に留まった。フランスに続く第6戦モナコGPでは、オープニングラップ中に発生した多重クラッシュにチームメイトのデレック・ワーウィック共々巻き込まれて左足を骨折し、翌第7戦カナダGPを欠場する憂き目に遭っている。また、第14戦イタリアGPでは終盤までトップを走りながらスロットルワイヤー切れでリタイヤするなど、マシントラブルにも泣かされるシーズンとなった。 1985年もルノーから参戦。前半戦は2度の3位表彰台を含む4回の入賞を記録したが、後半戦は1度もポイントを獲得できなかった。結局、この年をもってチームは撤退している。 1986年はチーム・ハース(ローラ)から参戦。しかし、マシンの戦闘力は低く、タンベイは1度の5位入賞が精一杯であった。結局、この年をもってタンベイはF1から姿を消すこととなった。
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