ピエール・グランゴワールとは? わかりやすく解説

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ピエール・グランゴワール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/16 01:00 UTC 版)

Pierre Gringore travesti en Mère Sotte

ピエール・グランゴワール(Pierre Gringore、フランス語発音: [pjɛʁ ɡʁɛ̃ɡɔʁ]1475年頃 - 1538年)は、フランス詩人劇作家である[1]ヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』(ノートルダムのせむし男)に実名で登場する。

生涯

フランス・カーンにあるホテル・マルエルブのグランゴワール像

グランゴワールは、ノルマンディーチュリー・アルクール英語版で1475年頃に生まれ、1538年に亡くなった。亡くなった月日と没地は不明である。出生時の名前はグランゴン(Gringon)だったが、自身で改名した。

最初に発表したのは、1499年の寓意詩"Le Chasteau de Labour"である。1506年から1512年まで、パリアクター・マネージャー英語版および劇作家として活動した。この時期に有名な喜劇集団「コンフレリー・デ・アンファン・サンスーシ」(Confrérie des Enfants Sans Souci)のために書いた風刺劇が最もよく知られている。当時、フランスとローマ教皇庁の間の緊張が高まっており、最終的にイタリア戦争に発展したが、フランス国王ルイ12世は教皇庁をからかうために同劇団を雇い入れた。グランゴワールは、1510年の"La Chasse du cerf des cerfs"や三部作"Le Jeu du Prince des Sots et Mère Sotte"など、当時の教皇ユリウス2世を批判する作品もいくつか書いている。1514年には、パリの石工と大工のためにルイ9世についての神秘劇"Vie Monseigneur Sainct Loys par personnaiges"を執筆した。これをグランゴワールの代表作とする学者もいる。

1515年に即位したフランソワ1世が戯曲に対する厳しい規制を設けたため、グランゴワールは1518年にロレーヌ公国に移り住み、そこでカトリーヌ・ロジェ(Catherine Roger)と結婚した。

グランゴワールは敬虔なカトリック信者だったが、前述のように教皇庁を攻撃するような作品も書いている。晩年の1524年の"Blazon des hérétiques"では、異端者やマルティン・ルターなどの宗教改革の指導者を攻撃している。

大衆文化において

ノートルダム・ド・パリ

ヴィクトル・ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』(ノートルダムのせむし男)やその映像化作品の大半において、「ピエール・グランゴワール」という名前の人物が重要なキャラクターとして登場する。このキャラクターは、実在のグランゴワールをモデルにして創作されたものであるが、実際のグランゴワールよりも『ノートルダム・ド・パリ』のグランゴワールの方がよく知られている[2]

演じた人物

俳優 作品
ルイス・ディーン英語版 The Darling of Paris(1917年の映画)
レイモンド・ハットン英語版 ノートルダムの傴僂男(1923年の映画)
エドモンド・オブライエン ノートルダムの傴僂男(1939年の映画)
ロベール・イルシュ英語版 ノートルダムのせむし男(1956年の映画)
ゲイリー・レイモンド The Hunchback of Notre Dame(1966年のテレビドラマ)
クリストファー・ゲイブル The Hunchback of Notre Dame(1976年の映画)
ジェリー・サンドクイスト英語版 ノートルダムの鐘つき男/報われぬ愛の物語英語版(1982年の映画)
エドワード・アッタートン英語版 ノートルダム(1997年の映画)
ブリュノ・ペルティエ ノートルダム・ド・パリ(1998年のミュージカル)

ディズニーによる1996年のアニメーション作品『ノートルダムの鐘』やそれを元にしたミュージカル作品、および2002年に発表された続編の『ノートルダムの鐘II』においては、グランゴワールの役どころは主要なキャラクターのフェビュス・ド・シャトーペール英語版(フィーバス)に統合されている。

その他

テオドール・ド・バンヴィルの1866年の散文劇『グランゴワール』(Gringoire)はグランゴワールを主役にしている。

アルフォンス・ドーデの1869年の短編集『風車小屋だより』に収録されている『スガンさんのやぎ』(La chèvre de M. Seguin)は、グランゴワール宛の手紙として書かれた作品である。

脚注

  1. ^ Zarifopol-Johnston, Ilinca (1995). To Kill a Text: The Dialogic Fiction of Hugo, Dickens, and Zola. U of Delaware P. pp. 233 n.57. ISBN 978-0-87413-539-8. https://books.google.com/books?id=4TJF-MUvUpwC&pg=PA233 2012年4月30日閲覧。 
  2. ^ Chassang, A. (1858). “Pierre Gringoire ou un poete dramatique au temps de Louis XII et de Francois Ier”. Jahrbuch für Romanische und Englische Literatur 3: 297–. オリジナルの2013-09-21時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130921062737/http://books.google.com/books?id=YfTjjdgj_AwC&pg=PA297. 

ピエール・グランゴワール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 15:44 UTC 版)

ノートルダム・ド・パリ」の記事における「ピエール・グランゴワール」の解説

おしゃべり自称詩人哲学者。「奇跡御殿」で絞首刑なりかけところをエスメラルダ助けられ、仮の夫婦となる。26歳

※この「ピエール・グランゴワール」の解説は、「ノートルダム・ド・パリ」の解説の一部です。
「ピエール・グランゴワール」を含む「ノートルダム・ド・パリ」の記事については、「ノートルダム・ド・パリ」の概要を参照ください。

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