ピアノ版のホロヴィッツによる編曲
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「展覧会の絵」の記事における「ピアノ版のホロヴィッツによる編曲」の解説
ムソルグスキー自身は一流のピアニストではなかったこともあり、原曲のピアノ書法ではラヴェル編曲の管弦楽版のような色彩感に乏しいことは否めない。1940年代に入るころ、ロシア出身で当時アメリカに亡命していたウラディミール・ホロヴィッツが独自の編曲を手掛け、1947年からコンサートでしばしば演奏するようになった。1947年のスタジオ録音と1951年のライヴ録音がレコードとして発売され、大きな話題になった。 これらは編曲とはいえ、ピアノ版の『展覧会の絵』の録音としては最も古い部類に属する。原典を重視する向きには敬遠されることがあるものの、ムソルグスキーによるピアノ原曲を世界に知らしめる上で、ホロヴィッツの演奏が果たした役割は極めて大きい。同時に、ホロヴィッツがこの編曲の楽譜を公開しなかったことと、その録音が越え難い決定盤と評価されたことが、他のピアニストがピアノ版に取り組むことを避けた最も大きな要因とも言える。もちろん原曲より技巧的には難しくなっている個所が多いが、その後、幾人かが録音された演奏からの楽譜起こしを試みた結果、聴感上の難度に比べ、非常に効率的な編曲がなされていることが分かっており、ホロヴィッツがいかにピアノ技法を熟知していたかをうかがい知ることができる。 ホロヴィッツ自身、この編曲は超絶演奏技巧を披露するためではなく、ムソルグスキーの原曲が持つロシア的な性格を一層引き出しつつ、ピアノの持つ可能性を最大限に活かすことを目的とした編曲であると述べている。
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