ビッグ・ジョー・ウィリアムズ
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| ビッグ・ジョー・ウィリアムズ | |
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ウィリアムズ (1971年11月14日のコンサートにて)
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| 基本情報 | |
| 原語名 | Big Joe Williams |
| 出生名 | Joseph Lee Williams |
| 生誕 | |
| 死没 | |
| ジャンル | デルタ・ブルース[1] |
| 職業 | |
| 担当楽器 | |
| レーベル | |
ビッグ・ジョー・ウィリアムズ (Big Joe Williams、1903年10月16日 - 1982年12月17日[2])は、アメリカ合衆国のデルタ・ブルースのギタリスト、歌手、ソングライターである[1]。9弦ギターを駆使した独特のサウンドで知られている。
彼は、半世紀以上に渡り演奏活動を続け、「Baby Please Don't Go」、「Crawlin' King Snake」、「Peach Orchard Mama」その他多くの楽曲を様々なレコードレーベルにレコーディングした[3]。
来歴
青年期
ウィリアムズは、1903年10月16日、ミシシッピ州クロフォードから数マイル西のオクティベハ郡で生まれた[4][5]。生年については1899年とする資料も存在する[6]。祖父バート・ローガン、叔父のバート・アンド・ラス・ローガンなどブルース・ミュージシャンが多くいる家庭で育った[6]。
十代の頃に家を出てアメリカ中を放浪した。店、バー、路地、ワーク・キャンプなどでバスキングなど演奏活動をし、鉄道作業員、堤防建設、テレピン油製造など様々な仕事をしながら生計を立てた[6][7]。1920年代初頭には、彼はラビット・フット・ミンストレル・レヴューに参加して演奏していた。
レコーディング・デビュー
彼は1930年にバーミングハム・ジャグ・バンドのメンバーとして、オーケー・レコードにレコーディングを行なった[8]。
1934年、彼がミズーリ州セントルイスにいたときに音楽プロデューサーのレスター・メルローズに出会い、彼は翌1935年にウィリアムズをブルーバード・レコードと契約させた[9]。ウィリアムズはそれから10年に渡りブルーバードに所属し、「Baby Please Don't Go」(1935年)、「Crawlin' King Snake」(1941年)などの他の多くのアーティストにもカバーされたブルースのヒット曲をレコーディングしている。彼はまた、サニー・ボーイ・ウィリアムソンI、ロバート・ナイトホーク、ピーティー・ウィートストローなど他のブルースの歌手たちともレコーディングをした[8]。この頃、彼はセントルイスのブルース歌手、ベッシー・メイ・スミス(ブルースの女帝として著名なベッシー・スミスとは別人)と結婚していたと言われており[10]、彼は時に「Baby Please Don't Go」の作者として彼女をクレジットすることがあった[11]。
1930年代の初頭、ウィリアムズはミシシッピ・デルタを旅をして回っていたが、その際若きマディ・ウォーターズが彼に帯同した。ウィリアムズはそのときのことをブルウェット・トーマスに対して次の通り語っている。「私はマディが15歳くらいのとき、彼をローリングフォークに迎えに行ったんです。彼はデルタ一帯に行き、私のバックでハーモニカをプレイしました。しかし、暫く経ってから彼を辞めさせなければならなくなったんです。女性たちが私のところに来て『あなたの若い息子はとてもいいわね!』と言ったんです。彼が私の女性を取ってしまうので、彼を辞めさせなければならなかったんですよ。」
フェスティバルにおける名声
フォーク・ブルースのファンの間でウィリアムズのギター・スタイルと歌が人気となり、1950年代から1960年代にかけて彼は引き続き著名なブルース・アーティストであり続けた。彼はトランペット、デルマーク、プレスティッジ、ヴォカリオン、その他のレーベルにレコーディングを行なった。彼はコンサート、やコーヒーハウス出演ミュージシャンのレギュラーとなり、1960年代後半から1970年代にかけて、ヨーロッパや日本へもツアーに出かけ、アメリカ国内の主要な音楽フェスティバルでも演奏した[8]。
ウィリアムズは、1960年代の初頭には若きボブ・ディランにも影響を与えている。「How Dylan Found His Voice: Big Joe Williams, the Lower East Side, Peyote and the Forging of Dylan's Art」の著者であるレニ・ブレナーによると、ウィリアムズはディランに対し、トラディショナルな歌を歌うことから離れて、自分の曲を書くように薦めたのだという。ウィリアムズは後になり次のように述べている。「ボブは私に手紙を書き、音楽に関する私のアドバイスに謝意を伝えてくれました。彼が得たもの、彼がやったこと、彼はそれを正直に得たのです。人は私に『彼は本物ですか?』と聞きますが、私は彼らに対して言うのです。彼の好きなように人生を送らせてやれとね。」ウィリアムズとディランはまた、ヴィクトリア・スピヴィーのレーベル、スピヴィー・レコードで1962年にいくつかのデュエットもレコーディングもしている。
コンサートに関する証言
マーク・ミラーは1965年のグリニッジ・ヴィレッジにおけるパフォーマンスについて以下の通り記している:
今思えば、2つのセットの間に挟まれる形でブルースマンのビッグ ジョー ウィリアムスがいた(カウント・ベイシー のバンドで歌ったジャズ、リズム・アンド・ブルース歌手のジョー・ウィリアムズとは別人である)。彼は酷い様子だった。額には大きな球根状の 動脈瘤 が突き出ていた。手に持っていたのは、使い古されたアコースティック・ギターで、弦の数は恐らく9本、様々な手製の付属品が付いていた。首にはカズーを掛けられるように針金で吊るした装置が付けられ、ギターを弾けるよう手は空いていた。言うまでもなく、フォーク・ロッカーたちの出演の後という状況では、彼はがっかりする存在だった。私と私のデートの相手は、場違いなこのデルタのブルースマンに同情の目を向け、苦痛に満ちた表情を交わした。3、4曲演奏した後、「皆さんビッグ・ジョー・ウィリアムズに大きな拍手を。ビッグ・ジョー、ありがとう」との姿の見えないアナウンサーのアナウンスがあった。しかし、ビッグ・ジョーはまだ演奏を終えていなかった。観客を見捨てたわけではなく、アナウンサーを無視した。彼は演奏を続け、曲が終わるごとにアナウンサーが丁寧に、しかし毅然とビッグ・ジョーをステージから降ろそうとした。ビッグ・ジョーはそんなことはお構いなしに、9弦アコースティック・ギターとカズーで演奏を続けた。6曲目か7曲目頃からグルーヴに乗り、彼は荒削りなスライド・ギターのリフ、力強い歌声、そしてギターと様々な装飾品のパーカッションを駆使して雄たけびを上げ始めた。演奏が終わる頃には、60年代のロッカーたちに飽き飽きしていた観客は総立ちになり、歓声と拍手喝采を送っていた。彼に対する当初の同情は、驚くべき尊敬の念に変わった。彼は、自分には聴衆を感動させる力があることを知っていたし、何千ワット、何百デシベルの出力によって歌の持つ基本的な力はほんの少しも変わらないことも知っていた[12]。
「Sounds Good to Me: The Bluesman's Story」、「Virginia Piedmont Blues」などの著書で知られるブルースの歴史研究家のバリー・リー・ピアソンはウィリアムズの演奏について、次のように述べている:
ウィリアムズがフィックル・ピックルにおけるマイク・ブルームフィールドのブルース・ナイトでプレイしているのを見たとき、彼はエレクトリックの9弦ギターを小さくてボロボロなアンプに繋いで弾いていました。ギターにはパイ皿が釘付けされていて、ビール缶がぶら下がっていました。彼がプレイすると、ビッグ・ジョー本人以外の全てがガラガラと音を立てました。この驚くべき装置はそれまで私が聴いたこともなかったような騒音にも似たアフリカ的な音を奏でていたのです[3]。
ギターとその奏法
ウィリアムズのギター奏法はデルタ・ブルースのスタイルに基づいたものでありながらも、独特であった。激しいリズムと名手的なメロディ・ラインを同時に弾き、その上から歌った。彼はサムピックと人差し指でプレイした。彼の使用するギターは大きな改造が施されていた。原始的な電気ピックアップが設置されており、そのコイル状の線はギターの表面を這わせる形となっていた。彼はまた、3本の弦を追加し、1弦、2弦、4弦について2つの弦をユニゾンで鳴らせるようにしていた。彼のギターのチューニングは通常はオープンG (低音よりD-G-DD-G-BB-DD)で、2フレット目にカポを付け、Aのチューニングとして使った。1920年代、1930年代にウィリアムズは他のギタリストに自分のギターを弾かせないようにするために、徐々に弦を追加していった[13][14]。
死去とその後
ウィリアムズは1982年12月17日、ミシシッピ州メイコンのノクサビー総合病院で死去した[15][2][8]。彼はラウンズ郡の境界線付近に位置するクロフォードの私設墓地に埋葬された。彼の墓標は主に彼の友人たちが出資し、一部資金については音楽ライターのダン・フォーテがテキサス州オースティンのナイトクラブ、アントンズのミュージシャンたちから募ったものが使われた。墓標は1994年10月9日にマウント・ザイオン・メモリアル・ファンドを通じて建立された。除幕式では、ウィリアムズとツアーの経験もあったハーモニカ奏者のチャーリー・マッスルホワイトが追悼の演説を行なっている。フォーテによるウィリアムズの碑名には、「9弦ギターの王 (King of the 9 String Guitar)」と記された[16]。
ウィリアムズの墓標のために集められた資金の余剰分については、マウント・ザイオン・メモリアル・ファンドによってクラークスデールのデルタ・ブルース・ミュージアムに寄付され、ウィリアムズが最後に使ったギターの一つを彼の妹のメアリー・メイから購入する資金に充てられた。ミュージアムが購入したこのギターは彼が後年に使用した12弦ギターであった。最後に使用していた9弦ギター(1950年代のKayカッタウェイをウィリアムズの9弦仕様にしたもの)は行方がわかっていない。ウィリアムズがそれ以前に使用していた9弦ギター(1944年ギブソンL-7を改造したもの)はウィリアムズのロード・エージェントで彼と共にツアーに出たブルウェット・トーマスが所有していた。
ウィリアムズの別の9弦ギターはデルマーク・レコード創設者のボブ・ケスター所有で、シカゴのジャズ・レコード・マートのカウンター内に保存されていた。
ウィリアムズの9弦ギターの演奏は2007年リリースのDVD『American Folk-Blues Festival: The British Tours, 1963–1966』で見ることができる[17]。
表彰など
彼は1992年10月4日にブルースの殿堂に迎え入れられている[8]。
2003年、ミシシッピ州クロフォードにウィリアムズのミシシッピ・ブルース・トレイル標識が設置された[18]。街中のメイン・ストリート沿いにあり、標識番号は56番である[6]。
ディスコグラフィー
オリジナル・アルバム
- 1961年 『Piney Woods Blues』 (Delmar)
- 1960年 『Tough Times』 (Arhoolie)
- 1962年 『Blues For 9 Strings』 (Prestige/Bluesville)
- 1962年 『Mississippi's Big Joe Williams And His Nine String Guitar』 (Folkways)
- 1963年 『Blues On Highway 49』 (Delmar)
- 1964年 『Ramblin' And Wanderin' Blues』 (Storyville)
- 1964年 『Back To The Country』 (Testament)
- 1966年 『Studio Blues』 (Prestige/Bluesville)
- 1966年 『Classic Delta Blues』 (Milestone)
- 1966年 『Big Joe Williams』 (XTRA)
- 1969年 『Hand Me Down My Old Walking Stick』 (Liberty)
- 1969年 『Thinking Of What They Did To Me』 (Arhoolie)
- 1971年 『Nine String Guitar Blues』 (Delmark)
- 1972年 『The Legacy Of The Blues Vol. 6』 (Sonet)
- 1972年 『Blues From The Misssissippi Delta』 (Blues On Blues)
- 1972年 『Big Joe Williams』 (Storyville)
- 1974年 『Don't Your Plums Look Mellow Hanging On Your Tree』 (Bluesway)
- 1980年 『Back To The Roots』 (Ornament)
ライヴ・アルバム
- 1963年 『At Folk City』 (Prestige/Bluesvile)
共作アルバム
- 1964年 『Three Kings And The Queen』 (Spivey) ※ヴィクトリア・スピヴィー、ルーズヴェルト・サイクス、ロニー・ジョンソンとの共同名義
- 1964年 『Introducing Mr. Shortstuff』 (Spivey) ※ショート・スタッフ・メイコンとの共同名義
- 1965年 『Stavin' Chain Blues』 (Delmark) ※J.D.ショートとの共同名義
- 1966年 『Living Legends』 (Verve Folkways) ※サン・ハウス、スキップ・ジェイムズ、ブッカ・ホワイトとの共同名義
- 1968年 『Hell Bound And Heaven Sent』 (Folkways) ※ショート・スタッフ・メイコンとの共同名義
- 1972年 『Robert Pete Williams With Big Joe Williams』 (Storyville) ※ロバート・ピート・ウィリアムズとの共同名義
- 1973年 『Blues Bash』 (Olympic) ※ライトニン・ホプキンス、ブラウニー & サニーとの共同名義
コンピレーション・アルバム
- 1970年 『Crawlin' King Snake』 (RCA International)
- 1975年 『Malvina My Sweet Woman』 (Oldie Blues)[19]
- 1998年 『Big Joe Williams』 (WarnerBlues Les Incontournables)
没後のリリース
- 1990年 『Shake Your Boogie』 (Arhoolie)
- 1999年 『Going Back to Crawford』 (Arhoolie) ※1971年録音
脚注
- ^ a b Paul Du Noyer (2003). The Illustrated Encyclopedia of Music. Fulham, London: Flame Tree Publishing. p. 181. ISBN 1-904041-96-5
- ^ a b Doc Rock. “The 1980s”. The Dead Rock Stars Club. 2015年8月30日閲覧。
- ^ a b “Archived copy”. 2020年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年3月5日閲覧。
- ^ Bob Eagle; Eric S. LeBlanc (2013). Blues - A Regional Experience. Santa Barbara: Praeger Publishers. pp. 111. ISBN 978-0313344237
- ^ Tony Russell (1997). The Blues: From Robert Johnson to Robert Cray. Dubai: Carlton Books. pp. 186–188. ISBN 1-85868-255-X
- ^ a b c d Davis Darryl Hartness (2010年2月20日). “Big Joe Williams”. The Historic Marker Database. 2025年10月9日閲覧。
- ^ Giles Oakley (1997). The Devil's Music. Da Capo Press. p. 71/3. ISBN 978-0-306-80743-5
- ^ a b c d e “Big Joe Williams”. Mississippi Blues Trail. 2025年10月7日閲覧。
- ^ Tony Russell (1997). The Blues: From Robert Johnson to Robert Cray. Dubai: Carlton Books. p. 13. ISBN 1-85868-255-X
- ^ Robert M. Dixon; John Godrich; Howard W. Rye (1997). Blues and Gospel Records 1890-1943 (4 ed.). Oxford: Oxford University Press. p. 812. ISBN 0-19-816239-1
- ^ Jim O'Neal (1992年). “1992 Hall of Fame Inductees: "Baby Please Don't Go" – Big Joe Williams (Bluebird 1935)”. The Blues Foundation. 2015年4月26日閲覧。
- ^ “Big Joe Williams, Bluesman”. Bluesforpeace.com. 2015年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月30日閲覧。
- ^ “Big Joe Williams – Nine String Guitar Blues”. Delmark. 2025年10月8日閲覧。
- ^ Terry Gross (2021年5月21日). “Remembering Record Store Owner Bob Koester”. Capradio. 2025年10月8日閲覧。
- ^ “Joe Lee 'Big Joe' Williams, a rambling blues musician...”. UPI (1982年12月18日). 2025年10月8日閲覧。
- ^ Steve Cheseborough (2009). Blues Traveling: The Holy Sites of Delta Blues'. Jackson: University Press of Mississippi. pp. 217
- ^ Big Joe Williams • Baby Please Don't Go • 1963 [Reelin' In The Years Archive] - YouTube
- ^ “Big Joe Williams”. Mississippi Blues Trail. 2025年10月8日閲覧。
- ^ “Oldie Blues : Discography”. Wirz.de. 2015年8月30日閲覧。
外部リンク
- “ビッグ・ジョー・ウィリアムズ・ディスコグラフィー (1935-1941)”. 1999年2月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年7月15日閲覧。
- ビッグ・ジョー・ウィリアムズ・ディスコグラフィー (Wirz' American Music)
- Me and Big Joe (マイク・ブルームフィールド著) (1980年)
- ビッグ・ジョー・ウィリアムズ - オールミュージック
- ビッグ・ジョー・ウィリアムズ - Discogs
- ビッグ・ジョー・ウィリアムズ - IMDb
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