ヒンドゥスタン・カシミール方面のタンマチ司令官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:17 UTC 版)
「モンゲトゥ」の記事における「ヒンドゥスタン・カシミール方面のタンマチ司令官」の解説
『モンゴル秘史』では蒙格禿(mēnggétū)、『集史』ではمونکدو(mūnkdū)と記される。上述のキヤト氏千人隊長と同一人物であるとする説もあるが、真偽は不明。 第二代皇帝オゴデイがカアンに即位すると、モンゴル帝国ではタンマチ(辺境鎮戍軍)が帝国辺境の各地に派遣された。西方では先にチョルマグン率いる4万のタンマチが派遣されていたが、その後詰めとして新たに2万のタンマチがヒンドゥスタン・カシミール方面に派遣されていた(モンゴルのインド侵攻)。このタンマチの最初の司令官はダイルであったが、これにモンゲトゥも従軍し、ダイルの死後は司令官職を受け継いだ。 「ヒンドゥスタン・カシミールのタンマチ」司令官職はモンゲトゥの後オコトルに引き継がれ、更にその後サリ・ノヤンの時代にフレグ・ウルスの一部とされた。
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