ヒズ・マジェスティとは? わかりやすく解説

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ヒズマジェスティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/03 08:30 UTC 版)

ヒズマジェスティ
欧字表記 His Majesty
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1968年
死没 1995年9月14日(27歳没)
Ribot
Flower Bowl
母の父 Alibhai
生国 アメリカ合衆国
生産者 Darby Dan Farm
調教師 Mr. & Mrs. John W. Galbreath
競走成績
生涯成績 22戦5勝
獲得賞金 99,430ドル
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ヒズマジェスティHis Majesty1968年 - 1995年)は、アメリカ合衆国で生産・調教された競走馬、および種牡馬。主に種牡馬として成功し、1982年北アメリカリーディングサイアーとなった。全兄にグロースタークがいる。

経歴

父はイタリアの名馬リボー、母はデラウェアハンデキャップなどに勝ったフラワーボウルである。半姉にボウルオブフラワーズ(アメリカ殿堂馬)、全兄にグロースターク(バハマズステークス勝ちなど)がいるかなりの良血であった。

競走馬としては22戦して5勝、ステークス競走勝ちはエヴァーグレイズステークスのみに終わり、あまり活躍したとは言い難い成績でしかなかった。

しかし、ヒズマジェスティは種牡馬入り後に現役時代を遥かにしのぐ成功を収めた。初年度からジャージーダービー(当時G1)勝ち馬コーモラントを出し、1979年にマンノウォーステークス連覇のマジェスティーズプリンス、1987年にはエクリプス賞最優秀芝牡馬として選ばれたタイトスポットなど活躍馬を次々と輩出した。これらの活躍により、1982年には北アメリカリーディングサイアーの座を得ている。

また、ヒズマジェスティは後継の種牡馬にも恵まれた。初年度産駒のコーモラントはケンタッキーダービーゴーフォージンなどを出し、プレザントコロニーもまたプレザントタップをはじめとした多数の産駒が重賞勝ちを収めてその系譜を伸ばしていった。現在もその父系は残っており、ジャパンカップで優勝した日本調教馬タップダンスシチーもこの系統の出身である。なお、一部の産駒は日本に種牡馬として輸入されていったが、あまり成功していない。

1995年9月14日、ダービーダンファームにて安楽死処置が施され、27歳で永眠した。

血統表

ヒズマジェスティ血統リボー系/Tracery 4x5=9.38%) (血統表の出典)

Ribot
1952 鹿毛 イタリア
父の父
Tenerani
1944 鹿毛 イタリア
Bellini Cavaliere Darpino
Bella Minna
Tofanella Apelle
Try Try Again
父の母
Romanella
1943 栗毛 イタリア
El Greco Pharos
Gay Gamp
Barbara Burrini Papyrus
Bucolic

Flower Bowl
1952 鹿毛 アメリカ
Alibhai
1938 栗毛 イギリス
Hyperion Gainsborough
Selene
Teresina Tracery
Blue Tit
母の母
Flower Bed
1946 鹿毛 アメリカ
Beau Pere Son-in-Law
Cinna
Boudoir Mahmoud
Kampala F-No.4-d

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