パレルモの疫病患者のためにとりなす聖ロザリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/22 00:14 UTC 版)
| オランダ語: Heilige Rosalie pleit voor de door de pest getroffenen van Palermo 英語: Saint Rosalie Interceding for the Plague-stricken of Palermo |
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| 作者 | アンソニー・ヴァン・ダイク |
|---|---|
| 製作年 | 1624年 |
| 種類 | キャンバス上に油彩 |
| 寸法 | 99.7 cm × 73.7 cm (39.3 in × 29.0 in) |
| 所蔵 | メトロポリタン美術館、ニューヨーク |
『パレルモの疫病患者のためにとりなす聖ロザリア』(パレルモのえきびょうかんじゃのためにとりなすせいロザリア、蘭: Heilige Rosalie pleit voor de door de pest getroffenen van Palermo, 英: Saint Rosalie Interceding for the Plague-stricken of Palermo)は、17世紀フランドル・バロック期の画家アンソニー・ヴァン・ダイクが1624年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。1871年以来、ニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されている[1][2]。
作品
作品は、パレルモの聖女ロザリア (1166年没) がペストが流行していたパレルモの町のためにとりなす姿を表わしている。背景には、パレルモの港とペッレグリーノ山が見える。
パレルモは1624年晩夏から1625年初頭にペストのために隔離されたが、絶望的になっていた人々は聖ロザリアに祈り、彼女を表した絵画は非常に需要があった[2]。当時ヴァン・ダイクはパレルモに滞在しており[2]、本作はその時にヴァン・ダイクが描いた聖ロザリア主題の6点の絵画のうちの1点である。なお、画家は1629年にもこの主題に立ち戻り、『聖ロザリアの戴冠』 (美術史美術館、ウィーン) と『パレルモのためにとりなす聖ロザリア』 (ポンセ、プエルトリコ) を描いている。
作品はメトロポリタン美術館により早い時期に取得されたが、美術館の学芸員たちは当初、「聖母の被昇天」を表したものであると誤認した[3]。なお、制作年は不詳であるものの、おそらく真作である本作の複製がミュンヘンのアルテ・ピナコテークに所蔵されている[4]。
歴史
聖ロザリアの遺骨は1624年7月15日に発見されたとされ、本作も同年に制作された[2]。作品は、シチリアの貴族の収集家であったアントニオ・ルッフォにより購入されたか委嘱されたものである。ちなみに、ルッフォは後の1653年にレンブラントの『ホメロスの胸像を見つめるアリストテレス』 (メトロポリタン美術館) も委嘱しており、マティアス・ストームの庇護者でもあった。近年の中性子放出にもとづくX線調査によって、ヴァン・ダイクが自画像用スケッチを描いていたキャンバスを本作のために再利用したことがわかっている[2]。
脚注
- ^ Salomon, Xavier F. (2012). Van Dyck in Sicily 1624–1625: Painting and the Plague. Milan: Silvana Editoriale Spa. pp. 104–107. ISBN 978-8836621729
- ^ a b c d e “Saint Rosalie Interceding for the Plague-stricken of Palermo”. メトロポリタン美術館公式サイト (英語). 2025年10月21日閲覧。
- ^ Farago, Jason (2020年3月26日). “The Saint Who Stopped an Epidemic Is on Lockdown at the Met”. New York Times 2020年3月28日閲覧。
- ^ “Catalogue entry”. 2025年10月21日閲覧。
外部リンク
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