パム・キルボーンとは? わかりやすく解説

パム・キルボーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/09 06:52 UTC 版)

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獲得メダル
オーストラリア
女子 陸上競技
オリンピック
1964 東京 80mハードル
1968 メキシコシティ 80mハードル

パム・キルボーン (Pamela Kilborn-Ryan、1939年8月12日 - )は、オーストラリアの陸上競技選手。ハードル種目を得意とし、1964年東京オリンピック1968年メキシコシティーオリンピックの80mハードルではそれぞれ銀、銅メダルを獲得。キルボーンは短距離、走幅跳七種競技でもワールドクラスの選手であった。

経歴

キルボーンは1962年のコモンウェルスゲームズで、80mハードルと走り幅跳びで優勝を飾る。2年後の東京オリンピックには、80mハードルで挑戦。準決勝では世界タイ記録をマークするもの、決勝では東ドイツカリン・バルツァー(Karin Balzer)、ポーランドテレサ・チェプラ(Teresa Ciepły)と激戦の上、同タイムながら銅メダルに終わる。

キルボーンは東京オリンピックの後、1965年2月に80mハードルで10秒4の世界新記録をマーク。翌年1966年のコモンウェルスゲームズでは80mハードルと4×110ydリレーの2種目で金メダルを獲得。1967年には100mハードルで、それまでの世界記録を0.4秒更新する13秒3の世界新記録を樹立。1968年メキシコオリンピックでは80mハードルの優勝候補と目されていたが、同じオーストラリアの18歳のモーリン・ケアードに敗れ銀メダルに終わった。

1970年から80mハードルは100mハードルと距離が伸ばされる。同年に実施されたコモンウェルスゲームズでは、ケアードを破り金メダルを獲得。さらに4×100mリレーでも金メダルを獲得し、コモンウェルスゲームズでは3大会で計6個の金メダルを獲得した。

その後一時休養期間をおいて、1972年ミュンヘンオリンピックに3回目の出場を果たす。オリンピックの直前に12.93(12.5)秒の世界タイ記録を樹立し期待されたが、決勝では東ドイツのアンネリー・エアハルトらに敗れ4位に終わった。

記録

大会 場所 種目 結果 記録
1962 コモンウェルスゲームズ パース(オーストラリア) 80mハードル 1位 11秒07
1962 コモンウェルスゲームズ パース(オーストラリア) 走幅跳 1位 6m27
1964 オリンピック 東京(日本) 80mハードル 3位 10秒5
1966 コモンウェルスゲームズ キングストン(ジャマイカ) 80mハードル 1位 10秒9
1968 オリンピック メキシコシティ(メキシコ) 80mハードル 2位 10秒4
1970 コモンウェルスゲームズ エジンバラ(スコットランド) 100mハードル 1位 13秒27
1972 オリンピック ミュンヘン(西ドイツ) 100mハードル 4位 12秒98

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