バハオラ ── 神が顕し給う者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 23:37 UTC 版)
「バハイ教」の記事における「バハオラ ── 神が顕し給う者」の解説
ガージャール朝に仕える高級官僚の家系に生まれたミールザー・ホセイン・アリーは、バーブ教が開かれた直後からバーブの信徒で、1852年に政府により逮捕され拘束された。このテヘランでの獄中生活の最中に、彼は自身がバーブが予言した「神が現し給う者」であると最初に受け取ったとされる。9年後の1863年、ホセイン・アリはイラクのバグダード(オスマン帝国領)に追放されるが、ここで彼は正式に、自身がバーブの予言した、「神が顕し給う者」であると宣言し、アラビア語で「神の栄光」を意味するバハオラの称号を名乗った。これがバハイ教の実質的な始まりである。 バハオラの教えはバーブ教のほとんどの信徒に受け入れられたが、バハオラ自身はイラン政府とオスマン政府の警戒を受けて、バグダードからイスタンブール、エディルネに移され、最終的には1868年にパレスチナのアッカ(アクレ)に流され、後にその近辺にあるバージに移り、1892年にそこで昇天した。アッカ及びバージの地はバハイ教徒にとっての聖地となっている。 アッカやバージ以外でバハイ教の聖地はハイファのカルメル山の斜面に位置するバーブの聖廟とその周辺地域である。バーブの遺骸は、イランから聖地へ運ばれ、バハオラによって指定された場所に築かれた聖堂に埋葬された。
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