バックスクリーン3連発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/01 15:44 UTC 版)
バックスクリーン3連発(バックスクリーン3れんぱつ)は、1985年(昭和60年)4月17日に阪神甲子園球場で行われたプロ野球・阪神タイガース(以下阪神)対読売ジャイアンツ(以下巨人)の試合において、阪神の当時のクリーンアップ(ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布)が7回裏の攻撃時に、巨人の槙原寛己投手が6球を投じる間に3者連続でバックスクリーンおよびその左へ本塁打を打ったという出来事を指す。阪神ファンの間では「伝説の三連発」とも呼ばれる。また、阪神にとってはバックスクリーン3連発があった1985年シーズンは日本一に輝いたシーズンでもあったことから、その名誉とともに、当シーズンの阪神を勢い付かせた出来事として語られることもある[1]。
注釈
- ^ “阪神・岡田監督がバース氏祝福 「もっと早くなっても良かった」”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2023年1月14日) 2023年1月14日閲覧。
- ^ 中川2019, p. 54.
- ^ a b c 中川2019, p. 55.
- ^ a b 中川2019, p. 56.
- ^ “ランディ・バースが明かす、日本で戦った最高の投手とは?(2/3)”. Sports Graphic Number Web (文藝春秋). (2015年9月16日) 2016年9月19日閲覧。
- ^ 中川2019, p. 57.
- ^ 中川2019, p. 58.
- ^ “内野手|東北楽天ゴールデンイーグルス|「最高の試合」「名場面・名勝負」|2010年NPBスローガン「ここに、世界一がある。」スペシャルコンテンツ”. 日本野球機構 (2010年8月9日). 2012年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月12日閲覧。
- ^ 開幕初戦は阪神3-4広島、大洋12-6巨人。
- ^ 開幕2戦目は阪神8-7広島、大洋5-6巨人。
- ^ このとき巨人のクロマティ中堅手は、1本目は打球を追いかけてジャンプ、2本目は追いかけたが諦め、3本目は打球をただバックスクリーンへ見送って呆然としており、この3連発の凄さを演出する格好となった。
- ^ このうち、8月13日からの3連戦3連敗の際は、続く対広島東洋カープ2連戦(8月17日、18日)と対大洋ホエールズ3連戦の初戦(8月20日)にも敗れ6連敗となり、それまで首位を走っていた阪神が一旦3位まで順位を落とす原因となった。 この頃には、8月13日の前日である12日に日本航空123便墜落事故が発生し、当時の中埜肇球団社長が亡くなっている。
- ^ その後、阪神は「平成の3連発」を記録した2003年まで巨人に勝ち越すことができなかった。
- ^ 初先発で延長10回完封勝利も甲子園の阪神戦で記録した。なお、新庄にサヨナラ打を打たれた試合も記録上は入来祐作が敗戦投手となっている。
- 1 バックスクリーン3連発とは
- 2 バックスクリーン3連発の概要
- 3 経過
- 4 阪神の三者連続本塁打
- 5 脚注
固有名詞の分類
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