ハンマー・プルクシュタルと
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1835年バルザックはハンスカ夫人を訪ねてヴィーンに滞在していたが、そのときハンマー・プルクシュタル (1774 ~ 1856)という人が作者から頼まれて、三角形に印刷されたフランス語の銘文をアラビア語に翻訳したのである。この人はオーストリアの外交官であり、ヨーロッパ有数のオリエント学者でもあった。主著に、前後三十年の刻苦精励の余になる『オットマン帝国史』全十八巻がある。ギリシア、ラテン、ペルシア語など、十か国の言葉をあたかも母国語のように自在にあやつった。篤信のカトリック教徒で、朝夕定めの時間には怠らず敬虔な祈りをとなえたが、しかしなんと、彼はそれをアラビア語でやってのけたという。サヴァリーといいハンマー・プルクシュタルといい、バルザックは学界にも多くの友人知己をもっていた。おまけに地獄耳で、サロンの談笑でも彼らの片言隻語を一度聞いたら忘れない上に、何かまとまった知識を必要とするときはかならず謙虚に彼らの門を叩いた。
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