ハワード・ウォーレス・ポロックとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ハワード・ウォーレス・ポロックの意味・解説 

ハワード・ウォーレス・ポロック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 15:50 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ハワード・ウォーレス・ポロック
Howard Wallace Pollock
生年月日 (1920-04-11) 1920年4月11日
出生地 アメリカ合衆国
イリノイ州
シカゴ
没年月日 2011年1月9日(2011-01-09)(90歳)
死没地 アメリカ合衆国
カリフォルニア州コロナド
出身校 パーキンストン短期大学
サンタクララ大学
ヒューストン大学 (JD)
マサチューセッツ工科大学 (MS)
ウィーン国際大学 (PhD)
所属政党 共和党

選挙区 アラスカ州全州選挙区
当選回数 2回
在任期間 1967年1月3日 - 1971年1月3日
テンプレートを表示

ハワード・ウォーレス・ポロック英語: Howard Wallace Pollock, 1920年4月11日2011年1月9日)は、アメリカ合衆国政治家アラスカ州選出のアメリカ合衆国下院議員(通算2期)。所属政党は共和党

経歴・人物

1920年イリノイ州シカゴで生まれたポロックは、ルイジアナ州ニューオーリンズで幼少期を過ごし、ミシシッピ州の高校に通った。1941年、パーキンストン短期大学を卒業後、アメリカ海軍に入隊[1]第二次世界大戦中の1944年、訓練中の手榴弾事故で右前腕を失い[2]1946年に退役した。最終階級は少佐。退役後、ヒューストン大学で法務博士 (専門職)マサチューセッツ工科大学博士号 (理学)をそれぞれ取得した[1]

ヒューストン大学在学中にアラスカ準州議会議員を1期(1953年 - 1955年)務めていた。1960年選挙でアラスカ州上院議員に当選。1962年選挙でアラスカ州知事選挙に鞍替え出馬したが、共和党予備選の段階で落選した。1964年、再び州上院議員選挙に出馬。無事当選を果たし、州上院では少数党院内幹事(Whip)を務めた[1][3]

1966年アメリカ下院議員選挙に共和党から出馬し、初当選を果たし、2期連続で下院議員を務めた。

政界引退後は、ニクソン大統領によってアメリカ海洋大気庁の副所長に任命され、その後1971年からの12年間、国際連合海洋法会議のアメリカ代表団を務めた[1][3]

1983年、公務員を引退したポロックは全米ライフル協会の会長に就任。2年間会長を務めた後、経営コンサルタントやロビイストなどとして活動した[3]

2011年カリフォルニア州コロナドで死去[3]

参考文献

関連項目

外部リンク

アメリカ合衆国下院
先代:
ラルフ・リバーズ
アラスカ州全州選挙区
選出議員

第2代: 1967年1月3日 - 1971年1月3日
次代:
ニック・ベギーチ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ハワード・ウォーレス・ポロックのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ハワード・ウォーレス・ポロック」の関連用語

ハワード・ウォーレス・ポロックのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ハワード・ウォーレス・ポロックのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのハワード・ウォーレス・ポロック (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS