ハワイ到着まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/12 09:40 UTC 版)
「シャルル・ド・ヴァリニ」の記事における「ハワイ到着まで」の解説
1829年11月25日ヴェルサイユ生まれ。父親は勤め人。ブルボン高等学校(Lycée Bourbon)卒。中国に行って貿易をしたいと考え、1850年11月27日にフランスを離れた。乗船した大西洋横断船アンナ号上でルイズ・コンスタンタン(Louise Constantin; 1827–1894)という女性と出会う。途中で立ち寄ったカリフォルニアはゴールドラッシュに沸いていた。サンフランシスコで、地方紙『レコー・ドュ・パシフィック』の新聞記者になる。1852年8月14日にルイズと結婚した。 1855年1月、ヴァリニは家族と共にレストレス号に乗り込み、サンフランシスコから中国(清朝)へ向かった。23日間の退屈な長旅の末、2月18日にハワイ王国の首都、ホノルルに到着した。ホノルル滞在は乗り換えのための一時的な滞在のつもりであったが、ヴァリニ一家はその後、14年間に渡ってそこに住むことになった。ヴァリニの英語の発音は完璧とは言えず、英語の読み書きもかろうじて実用に足るレベルであったが、駐ハワイ王国フランス共和国領事ルイ・エミール・プルラン(Louis Emile Perrin)は英語がまったくできなかったので通訳が足りていなかった。ヴァリニはプルランの通訳の仕事を引き受けた。
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