ノーマン・ホワイトサイドとは? わかりやすく解説

ノーマン・ホワイトサイド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/30 02:22 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ノーマン・ホワイトサイド
名前
愛称 Big Norman
ラテン文字 Norman Whiteside
基本情報
国籍 北アイルランド
生年月日 (1965-05-07) 1965年5月7日(53歳)
出身地 ベルファスト
身長 188cm
選手情報
ポジション FW / MF
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1982-1989 マンチェスターU 206 (47)
1989-1991 エヴァートン 29 (9)
代表歴
1982-1989 北アイルランド 38 (9)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ノーマン・ホワイトサイド(Norman Whiteside、1965年5月7日 -)は、北アイルランド出身の元サッカー選手。ポジションはフォワードミッドフィールダー

経歴

北アイルランドのベルファスト生まれ。14歳の時にイングランドマンチェスター・ユナイテッドのスカウト、ビル・ビショップ(かつてジョージ・ベストを発掘した人物)に見出され、同クラブのユースチームに入団。1982年4月にダンカン・エドワーズ以来となる同クラブ史上最年少でのリーグ戦出場記録を打ち立て、注目を集めた。

この活躍により北アイルランド代表に抜擢され、同年6月17日のFIFAワールドカップ・スペイン大会1次リーグ、ユーゴスラビア戦において17歳と41日の若さで代表デビューを飾った。この記録は、かつてFIFAワールドカップ・スウェーデン大会でのブラジルペレの記録を塗り替える大会史上最年少出場記録となった[1]。ホワイトサイドは、この後もスタメンに名を連ね、北アイルランドの2次リーグ進出に貢献した。

クラブレベルでは1982-83シーズンにはFAカップフットボールリーグカップの二冠獲得に貢献。1984-85シーズンのFAカップ決勝、リヴァプールFC戦では延長後半5分に決勝点を決める活躍で優勝に貢献した。代表では1986年FIFAワールドカップ・メキシコ大会に参加、1次リーグのアルジェリア戦では1得点を記録するなど、1989年10月11日のアイルランド戦を最後に代表から退くまで国際Aマッチ38試合に出場し9得点を記録した。

若くして才能を注目され、将来のスター候補と期待されたが[2][3]、クラブレベルでは1986年にロン・アトキンソンに代わってアレックス・ファーガソンがマンチェスターユナイテッドの監督に就任すると、規律を重んじるファーガソンとの間で軋轢が生じるようになり、また膝やアキレス腱の深刻な負傷や飲酒の問題もあって次第に出場機会を失っていった。その後、1989年にエヴァートンへ移籍したが、怪我は完治せず、1991年に26歳で現役を引退した。

脚注

  1. ^ ブライアン・グランヴィル『決定版ワールドカップ全史』281頁
  2. ^ ブライアン・グランヴィル『決定版ワールドカップ全史』314頁
  3. ^ Norman Whiteside was the 'new George Best'2009年6月2日閲覧

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ノーマン・ホワイトサイド」の関連用語

ノーマン・ホワイトサイドのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ノーマン・ホワイトサイドのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのノーマン・ホワイトサイド (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS