ノーマン・ポグソンとは? わかりやすく解説

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ノーマン・ポグソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/08 08:25 UTC 版)

ノーマン・ロバート・ポグソン
ノーマン・ロバート・ポグソン
人物情報
生誕 1829年3月23日
グレートブリテン王国ノッティンガムシャーノッティンガム
死没 1891年6月23日
インド、マドラス
学問
研究機関 ラドクリフ天文台、マドラス天文台
特筆すべき概念 対数スケールによる等級の定義を考案
主な受賞歴 インド帝国勲章コンパニオン (CIE)
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ノーマン・ロバート・ポグソン[1][2](Norman Robert Pogson, 1829年3月23日 - 1891年6月23日)は、イギリス天文学者。天体の等級を対数スケールで表す尺度とした業績で知られる[3]

生涯

ポグソンは1829年にイギリスのノッティンガムに生まれた。正式な教育は受けていなかったが[3]ロンドンリージェンツ・パークにあったジョージ・ビショップの私設天文台に勤め、当時の台長ジョン・ハインドの下で天文学を学び、18歳の頃には2個の彗星の軌道を計算した。1850年にオックスフォード大学ラドクリフ天文台にヘリオメーターが導入された際に助手の募集があり、これに応募したポグソンが採用された[3]。ラドクリフ天文台では、天体の子午線通過の観測を行う傍らで、変光星小惑星の発見のために時間を費やすことができた[3]。このラドクリフ天文台での勤務時にポグソンは、(42) イシス、(43) アリアドネ、(46) ヘスティアの3つの小惑星を発見している。1859年の初め、ポグソンはオックスフォードを離れ、ハートウェルにあったウィリアム・ヘンリー・スミスの私設天文台に赴任。1860年には、政府の天文学者に任命され、当時イギリスの植民地であったインドのマドラス(現在のチェンナイ)へ赴任した[3]。マドラスでは研究時間のほとんどを子午線天文学に費やした。彼は、3巻の子午線天体図を出版、11,015個の星をまとめたマドラス目録を作成した他、5個の小惑星を発見し、変光星の発見数を18個まで伸ばした[3]。ポグソンはマドラスを訪れてから死を迎えるまでの30年間、マドラス天文台の台長の職にあった。

長女のアイシス・ポグソン英語版(1852年-1945年)も天文学者、気象学者として活躍し、王立天文学会の会員に選ばれた最初の女性の一人となった。ポグソンが発見した小惑星イシスの名前は、エジプトの女神イシスと、彼女の名前が由来となっている。

業績

ポグソンの最も大きな業績は、天体の明るさを表す尺度である等級に注目し、対数スケールによる尺度として定義したことである。1等星が6等星のおよそ100倍の明るさであることは、既にジョン・ハーシェルによって既に示されていた。ポグソンは、さらにその研究を進め、1856年に、5等級の差が正確に100倍に相当し、1等級の差は5100 ≒ 2.512倍に相当すると定義した[3][4]。これによって、それまで整数でしか表せなかった等級が1.2等星や3.5等星などと小数を使って表せることになり、現代でも用いられている。

天体の見かけの等級mn 、見かけの明るさをlmln としたとき、天体の等級の差は以下の式で表される[5]

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