ビリー・ビンガムとは? わかりやすく解説

ビリー・ビンガム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 06:41 UTC 版)

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ビリー・ビンガム
名前
本名 William Laurence Bingham
ラテン文字 Billy BINGHAM
基本情報
国籍 北アイルランド
生年月日 (1931-08-05) 1931年8月5日
出身地 ベルファスト
没年月日 (2022-06-09) 2022年6月9日(90歳没)
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1948-1951 グレントラン 60 (21)
1950-1958 サンダーランド 227 (47)
1958-1961 ルートン・タウン 97 (33)
1961-1963 エヴァートン 98 (26)
1963-1965 ポート・ヴェイル 42 (7)
代表歴
1951-1963 北アイルランド 56 (10)
監督歴
1965-1967 サウスポート
1967-1971 北アイルランド代表
1968-1970 プリマス・アーガイル
1970-1971 リンフィールド
1971-1973 ギリシャ代表
1973-1977 エヴァートン
1977 PAOKテッサロニキ
1978-1979 マンスフィールド・タウン
1980-1993 北アイルランド代表
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ビリー・ビンガム MBE(Billy Bingham MBE, 1931年8月5日 - 2022年6月9日[1])は、北アイルランドの元サッカー選手サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー

経歴

選手時代

ビンガムは小柄な体格ながら、スピードとテクニックを有した右ウイングとして活躍した。1948年にグレントランFCで選手経歴を開始すると、1950年にイングランドのサンダーランドAFCへ移籍し8シーズンの間にリーグ戦227試合で47得点を記録。1958年からはルートン・タウンFCへ移籍し、翌1959年のFAカップ優勝に貢献した。1961年にルートンが2部リーグへ降格すると、£ 15000の移籍金でエヴァートンFCへ移籍し、1963年のリーグ優勝に貢献した。選手経歴の晩年はポート・ヴェイルFCでプレーをしたが、脚の怪我が原因で1965年に現役を引退した。

北アイルランド代表としては、1951年に代表デビュー。1958年のFIFAワールドカップ・スウェーデン大会では主将のダニー・ブランチフラワーらと共に、同国の準々決勝進出に貢献した。そして1963年に代表から退くまで国際Aマッチ56試合に出場し10得点を記録した。

監督時代

引退後は指導者の道へ進み、古巣のエヴァートンや北アイルランド代表ギリシャ代表などの監督を歴任した。1980年に10年ぶりに北アイルランド代表監督に就任すると、同国を1958年のスウェーデン大会以来となるワールドカップ出場に導いた。1982年のFIFAワールドカップ・スペイン大会では、1次リーグで開催国のスペインを1-0で下し2次リーグ進出に導いた。また1986年のFIFAワールドカップ・メキシコ大会出場にも導くなど、1993年までの長きに渡って監督職を務めた。

受賞歴

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ Former NI boss Billy Bingham dies”. www.colerainechronicle.co.uk. 2022年6月10日閲覧。

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