ハリー・グレッグとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ハリー・グレッグの意味・解説 

ハリー・グレッグ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/22 07:46 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ハリー・グレッグ
名前
本名 Henry Gregg
ラテン文字 Harry GREGG
基本情報
国籍 北アイルランド
生年月日 (1932-10-27) 1932年10月27日
出身地 トーバーモア
没年月日 (2020-02-16) 2020年2月16日(87歳没)
選手情報
ポジション GK
ユース
ウィンザー・パーク・スウィフツ
コールレーン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1952-1957 ドンカスター・ローヴァーズ 94 (0)
1957-1966 マンチェスター・ユナイテッド 210 (0)
1966-1967 ストーク・シティ 2 (0)
代表歴
1954-1964 北アイルランド 25 (0)
監督歴
1968-1972 シュルーズベリー・タウン
1972-1975 スウォンジー・シティ
1975-1978 クルー・アレクサンドラ
1986-1987 カーライル・ユナイテッド
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヘンリー"ハリー"グレッグ MBEHenry "Harry" Gregg MBE, 1932年10月27日 -2020年2月16日[1])は、北アイルランド出身の元同国代表サッカー選手、指導者。

来歴

クラブ

リンフィールドのリザーブチーム、ウィンザー・パーク・スウィフツでキャリアをスタートさせる。コールレーンを経て、18歳の時にアイリッシュ海を渡りドンカスター・ローヴァーズに加入。1957年12月、マンチェスター・ユナイテッドに23,000ポンドで移籍[2]。これはGKの移籍金としては当時最高であった[3]

マンチェスター・ユナイテッドでは1957年12月21日のレスター・シティ戦でデビュー。マット・バスビー監督の下247試合に出場し、48のクリーンシートを達成した。1958年2月6日に起きた、多くのチームメイトが犠牲となったミュンヘンの悲劇では、ユーゴスラビアの外交官の母娘やバスビー監督を救出し、ミュンヘンの英雄と称された。

1963年のFAカップ決勝では肩の負傷の為にベンチ入り出来ず、その後もケガの連続でチームが優勝した1964–65、1966–67シーズンも満足にプレーすることは出来なかった。1967年夏にストーク・シティに移籍し、1年で引退した。

代表

北アイルランド代表では25試合に出場。1958 FIFAワールドカップでは4試合全てに出場、ベストイレブンに選出された。

指導者

1968年、シュルーズベリー・タウンの監督に就任。1972年11月、スウォンジー・シティ監督に就任するが、1975年2月に辞任。クルー・アレクサンドラに加入し1978年まで監督を務めた。その後デーブ・セクストンに誘われて古巣のマンチェスター・ユナイテッドでGKコーチを務め、セクストンがチームを去った1981年まで在籍した。次にルー・マカリの助監督としてスウィンドン・タウンに加入するが、マカリとの意見の不一致により1985年4月に解雇される。1986年カーライル・ユナイテッドの監督就任。

1995年、大英帝国勲章(MBE)受章。2008年7月1日、アルスター大学においてサッカーに対する貢献が認められて博士号を授与され、夏の卒業式で名誉学位を受けた[4]

2020年2月16日、北アイルランドロンドンデリー県コールレインにあるコーズウェイ病院で死去した。享年87歳[5]。 グレッグの訃報を受けてマンチェスター・ユナイテッドの選手たちは2月17日のチェルシーFC戦で喪章を着けてプレイした。

脚注

[脚注の使い方]

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ハリー・グレッグ」の関連用語

ハリー・グレッグのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ハリー・グレッグのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのハリー・グレッグ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS