ネロの死後、解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 16:54 UTC 版)
「第1軍団ゲルマニカ」の記事における「ネロの死後、解散」の解説
時代は下り、69年にローマ皇帝ネロが自殺、ロ−マ国内でユリウス=クラウディウス朝の皇族内で新たな皇帝を見つける事ができなかった。結果として複数の皇帝を輩出する事となり、この事はゲルマニアを含む属州の軍団を混乱させた。ゲルマニアではベルガエ族の反乱が起こり、その中のガリア人指導者ガイウス・ユリウス・キウィリスは多くのローマ軍団を指揮下に収める。第1軍団もキウィリスと連帯を取り、彼等ガリア人の指揮下に入った。この事は致命的な失敗となり、ローマ皇帝を継承したウェスパシアヌスによって第1軍団ゲルマニカは解散させられた。
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