ネクタイ売りから年商1億円に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 04:26 UTC 版)
「立石賢治」の記事における「ネクタイ売りから年商1億円に」の解説
札幌に移住し再起を図った賢治は、ネクタイ売りから始めて、洋品類の販路を広げる。その間に、失敗と成功を繰り返すが、勢力を盛り返し、札幌市北四条西十四丁目の電車通りに土地と家屋を買い受け、「東洋紡株式会社」を設立。昭和34年(1959年)には、社員数50名、年商1億円に達する。昭和35年(1960年)5月、夕張炭鉱へ販路を開き、仕入値600万円相当の衣料品をトラック一台に積み、3人の社員に売りに行かせるが、放漫経営から社員たちに裏切られ、商品、売上をそのまま持ち逃げされる。さらに、自分の力の限界を越え経営規模を広げ過ぎたため、経営不振に陥り、同年7月、再建会社を設立。しかし、時すでに遅く、商品の仕入れが出来ず、社員への給料が払えず倒産。
※この「ネクタイ売りから年商1億円に」の解説は、「立石賢治」の解説の一部です。
「ネクタイ売りから年商1億円に」を含む「立石賢治」の記事については、「立石賢治」の概要を参照ください。
- ネクタイ売りから年商1億円にのページへのリンク