ナポリ・シチリアのブルボン(ボルボーネ)家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 00:45 UTC 版)
「ブルボン家」の記事における「ナポリ・シチリアのブルボン(ボルボーネ)家」の解説
「シチリア・ブルボン朝」も参照 イタリア南部のナポリ王国とシチリア王国はもともとアラゴン王国の支配下にあったが、アラゴン王国がスペインに統合されることによって、スペイン王家の支配を受けるようになった。ナポリとシチリアは形式的に分かれているだけで、どちらもスペインの支配下にあり、フランス・ブルボン家がスペイン王となるに及んで、ブルボンの支配はこれら王国にも及んだ。ところが、スペイン・ブルボン家初代フェリペ5世即位後勃発したスペイン継承戦争でオーストリアがナポリとシチリアを占領した。オーストリアの支配は1707年から1734年まで続いた。 ポーランド継承戦争中、フェリペ5世の王子でパルマ公だったドン・カルロスが武力でナポリとシチリアを奪回し、ナポリ王カルロ7世およびシチリア王カルロ5世となった。ここにブルボン家は南イタリアをも獲得したことになる。その後、カルロ7世はスペイン王位に即位してカルロス3世となり、ナポリとシチリアは息子のフェルディナンドに譲った。これがナポリ王フェルディナンド4世(シチリア王フェルディナンド3世)である。 19世紀始めのナポレオン戦争でナポリは一時フランス帝国の支配下に落ちたが、1816年のウィーン議定書によって返還され、両シチリア王国として再出発した。ナポリ王フェルディナンド4世(=シチリア王フェルディナンド3世)は両シチリア王フェルディナンド1世となった。両シチリアのブルボン家は4代続いたが、1860年にガリバルディに征服され、統一イタリア王国に併合された。廃位後も家系は今日まで存続している。
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