ナジュド及びヒジャーズ王国
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ナジュド及びヒジャーズ王国(ナジュドおよびヒジャーズおうこく、アラビア語:مملكة الحجاز ونجد)は、アラビア半島に存在した国家である。
概要
別々の国家であったナジュド・スルタン国が1926年にヒジャーズ王国を征服して以降、ナジュド・スルタン国のスルターンであったアブドゥルアズィーズ・イブン=サウードがヒジャーズ王を兼ねていたが、1931年に連合王国となる。翌年、連合体制をやめ、サウジアラビア王国となる。
外部リンク
関連項目
ナジュド及びヒジャーズ王国
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「サウード家」の記事における「ナジュド及びヒジャーズ王国」の解説
ヒジャーズからハーシム家のフサインのヒジャーズ王国勢力を駆逐し(en:Saudi conquest of Hejaz)、1926年には現サウジアラビアの版図を征服(ナジュド及びヒジャーズ王国)。en:Ikhwan Revolt(1927年 - 1930年)。en:Ikhwan raid on Busayya、en:Battle of Sabilla、en:Battle of Jabal Shammar (1929)。
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