ドーリア人、シケリアで優勢となる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:12 UTC 版)
「シケリア戦争」の記事における「ドーリア人、シケリアで優勢となる」の解説
ゲラの僭主であるクレアンデル(在位紀元前505年-紀元前498年)およびその弟のヒポクラテス(在位紀元前498年-紀元前491年)は、イオニア人およびドーリア人双方の領域を制し、紀元前490年までにザンクル(現在のメッシーナ)、レオンティノイ(現在のレンティーニ)、カタナ(現在のカターニア)、ナクソス(現在のジャルディーニ=ナクソス)はゲラの支配に下った。例外はカマリナ(現在のラグーザ県ヴィットーリアのスコグリッティ地区)のみであった。ヒポクラテスの後継者となったゲロンは、紀元前485年にシュラクサイ(現在のシラクサ)を占領し、そこを首都とした。ゲロンは民族浄化、住民の国外追放、奴隷化を行い、占領したかつてのイオニア人の都市をドーリア人の都市とし、シケリアでの覇権を握った。他方、アクラガスはテロン(在位紀元前488年-紀元前472年)が僭主の時代に、シカニ人とシケル人の土地に進出した。アクラガスとシュラクサイの衝突を未然に防ぐため、テロンとゲロンは互いに婚姻関係を結び、シケル人とイオニア人殖民都市に対抗した。このため、シケリアにおける資源と人的資源の多くは、この二人の攻撃的な僭主に握られることなり、シケリアの他の勢力は脅かされることとなった。
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