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ド・リール子爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/28 08:37 UTC 版)

ド・リール子爵
Viscount De L'Isle

紋章記述

Arms:Quarterly:  1st and 4th, Or a Pheon Azure (Sidney);  2nd and 3rd, Sable on a Fess engrailed between three Whelk Shells Or a Mullet for difference (Shelley) Crests:1st:  a Porcupine statant Azure quilled collared and chained Or; 2nd:  a Griffin's Head erased Argent ducally gorged Or Supporters:Dexter:  a Porcupine Azure quilled collared and chained Or;  Sinister:  a Lion queue fourchée Vert
創設時期 1956年1月12日
創設者 エリザベス2世
貴族 連合王国貴族
初代 6代男爵ウィリアム・シドニー英語版
現所有者 2代子爵フィリップ・シドニー英語版
相続人 フィリップ・シドニー閣下
付随称号 ド・リール=ダドリー男爵
ゴアリング城の準男爵
ペンズハーストプレイスの準男爵
現況 存続
邸宅 ペンズハースト・プレイス英語版
モットー 運命の誘うところへ
(Whither the Fates call me)

ド・リール子爵: Viscount De L'Isle)はイギリス子爵貴族連合王国貴族爵位。第6代ド・リール=ダドリー男爵ウィリアム・シドニー英語版1956年に叙されたことに始まる。

歴史

一族の邸宅ペンズハースト・プレイス英語版
初代子爵ウィリアム・シドニー。オーストラリア総督を務めた。

子爵家の始祖ジョン・シェリー=シドニー(John Shelley,1771-1849)はゴアリング城のシェリー準男爵家の次男として生まれた[1]。彼は1818年(ケント州ペンズハースト・プレイスの)準男爵(Baronet, of Penshurst Place, in the County of Kent)に叙せられた[1][2][3][4]。また、ジョンは1793年に母方の「シドニー(Sidney)」姓をその家名に加えている[4]

その子フィリップ・シドニー英語版(1800-1851)トーリー党に属する庶民院議員として活動、寝室官長に任じられた年の1835年に連合王国貴族としてケント州ペンズハーストのド・リール=ダドリー男爵(Baron De L'Isle and Dudley, of Penshurst in the County of Kent)に昇叙した[1][4][5]。彼以降の男爵家当主は「シェリー(Shelley)」姓を用いず、主に「シドニー」を家名として名乗り、現在に至っている[1][2][4]。なお、爵位名はいずれも初代準男爵の母方の先祖の苗字や従属爵位に因んでおり、再興の意味合いも兼ねる[註釈 1]

2代男爵フィリップ(1828–1898)は義父の要望から「フォーリス(Foulis)」を家名に加えたのち、再び家名を「シドニー」に戻している[1][6]。彼ののちはその長男フィリップ、次男アルジャーノン、三男ウィリアム及びその子ウィリアムの順で爵位は継承された[1]

6代男爵ウィリアム(1909–1991)は保守党の政治家で、空軍大臣英語版オーストラリア総督を務めている[2][7]。彼は1956年にケント州ペンズハーストのド・リール子爵(Viscount De L'Isle, of Penshurst in the County of Kent)に陛爵した[2][8]。初代子爵は1965年に遠縁サー・シドニー・シェリー英語版より(サセックス州ゴアリング城の)準男爵(Baronet, of Castle Goring, in the County of Sussex)を相続したため、この準男爵位も子爵位の従属爵位に加わった[2]

その子である2代子爵フィリップ(1945-)2020年現在のド・リール子爵家当主を務める。


一族の邸宅は、ケント州タンブリッジ英語版にあるペンズハースト・プレイス英語版[2][4]。また、かつての邸宅にはヨーク州に位置したイングルビー・マナー(Ingleby Manor)があった[4]

一族のモットーは『運命の誘うところへ(Quo Fata Vocant)[1]

現当主の保有爵位 / 準男爵位

現当主である第2代ド・リール子爵フィリップ・シドニー英語版は、以下の爵位を有する[2]

  • 第2代ケント州ペンズハーストのド・リール子爵(2nd Viscount De L'Isle, of Penshurst in the County of Kent)
    (1956年1月12日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第7代ケント州ペンズハーストのド・リール=ダドリー男爵(7th Baron De L'Isle and Dudley, of Penshurst in the County of Kent)
    (1835年1月13日の勅許状による連合王国貴族爵位)

当主一覧

(ペンズハースト・プレイスの)準男爵(1818年)

  • 初代準男爵サー・ジョン・シェリー=シドニー (1771–1849)
  • 第2代準男爵サー・フィリップ・シドニー英語版 (1800–1851) (1835年にド・リール=ダドリー男爵叙爵)

ド・リール=ダドリー男爵(1835年)

  • 初代ド・リール=ダドリー男爵フィリップ・シドニー英語版 (1800–1851)
  • 第2代ド・リール=ダドリー男爵フィリップ・シドニー (1828–1898)
  • 第3代ド・リール=ダドリー男爵フィリップ・シドニー (1853–1922)
  • 第4代ド・リール=ダドリー男爵アルジャーノン・シドニー (1854–1945)
  • 第5代ド・リール=ダドリー男爵ウィリアム・シドニー (1859–1945)
  • 第6代ド・リール=ダドリー男爵ウィリアム・シドニー英語版 (1909–1991) (1956年ド・リール子爵創設)

ド・リール子爵(1956年)

  • 初代ド・リール子爵ウィリアム・シドニー英語版 (1909–1991)
  • 第2代ド・リール子爵フィリップ・シドニー英語版 (1945 - )

法定推定相続人は、現当主の息子であるフィリップ・ウィリアム・エドマンド・シドニー(1985-)閣下。

略系図

  • 初代準男爵サー・ビッシュ・シェリー英語版 (1731–1815)[9]
    • 第2代準男爵サー・ティモシー・シェリー英語版 (1753–1844)
      • パーシー・ビッシュ・シェリー (1792–1822)
        • 第3代準男爵サー・パーシー・フロレンス・シェリー英語版 (1819–1889)
      • ジョン・シェリー (1806–1866)
        • 第4代準男爵サー・エドワード・シェリー (1827–1890)
        • 第5代準男爵サー・チャールズ・シェリー英語版 (1838–1902)
          • 第6代準男爵サー・ジョン・コータウン・エドワード・シェリー=ロールズ英語版 (1871–1951)
          • 第7代準男爵サー・パーシー・ビッシュ・シェリー (1872–1953)
          • 第8代準男爵サー・シドニー・パトリック・シェリー英語版 (1880–1965)
    • 初代準男爵サー・ジョン・シェリー (1771–1849)
      • 初代ド・リール=ダドリー男爵フィリップ・シドニー英語版 (1800–1851) = ド・リール=ダドリー男爵夫人ソフィア (1796—1837), ウィリアム4世の非嫡出子女
        • 第2代ド・リール=ダドリー男爵フィリップ・シドニー (1828–1898)
          • 第3代ド・リール=ダドリー男爵フィリップ・シドニー (1853–1922)
          • 第4代ド・リール=ダドリー男爵アルジャーノン・シドニー (1854–1945)
          • 第5代ド・リール=ダドリー男爵ウィリアム・シドニー (1859–1945)
            • 初代ド・リール子爵ウィリアム・シドニー英語版 (1909–1991)
              • 第2代ド・リール子爵フィリップ・シドニー英語版 (1945 - )
                • (1) フィリップ・ウィリアム・エドマンド・シドニー閣下 (1985 - )

脚注

註釈

  1. ^ 爵位の『L'Isle』は、母方の親族第4代レスター伯爵ロバート・シドニーの従属爵位であるリール子爵(Viscount L'Isle)に因むほか、『Dudley』は同じく母方の初代レスター伯爵ロバート・ダドリーの家名にならったもの。

出典

  1. ^ a b c d e f g De L'Isle and Dudley, Baron (UK, 1835)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年4月14日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g De L'Isle, Viscount (UK, 1956)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年4月14日閲覧。
  3. ^ No.17404”. Th Gazette 3 October 1818. 2020年4月14日閲覧。
  4. ^ a b c d e f Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. (1921). p. 275. https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse 
  5. ^ “No. 19228”. The London Gazette (英語). 9 January 1835. p. 42.
  6. ^ No.21104”. The Gazette 14 June 1850. 2020年4月15日閲覧。
  7. ^ No.42351”. The Gazette 12 May 1961. 2020年4月15日閲覧。
  8. ^ “No. 40684”. The London Gazette (英語). 13 January 1956. p. 278.
  9. ^ https://thepeerage.com/p2948.htm#i29479

関連項目


ド・リール子爵(1956年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:48 UTC 版)

「ド・リール子爵」の記事における「ド・リール子爵(1956年)」の解説

初代ド・リール子爵ウィリアム・シドニー(英語版) (1909–1991) 第2代ド・リール子爵フィリップ・シドニー英語版) (1945 - ) 法定推定相続人は、現当主の息子であるフィリップ・ウィリアム・エドマンド・シドニー(1985-)閣下

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