トム・シンプソンの死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/19 09:23 UTC 版)
「ツール・ド・フランス1967」の記事における「トム・シンプソンの死」の解説
今大会のツールを語る上において、イギリスのトム・シンプソンの死に触れないわけにはいくまい。1967年7月13日の第13ステージにおける出来事である。シンプソンは第9ステージまで、総合首位のパンジョンに5分15秒差の6位につけていたが、翌、第10ステージでは区間優勝のフェリーチェ・ジモンディに5分59秒の差をつけられ、総合でも8分20秒差の7位へと後退していた。 後にシンプソンの体内からアンフェタミンとアルコールに加え、利尿薬までもが検出され、また、この年のプロヴァンス地方は特に暑かったことも影響していたようだ。既にシンプソンが精神的に追い詰められていたということは明白である。 第13ステージのコースでは、「死の山」と恐れられるモン・ヴァントゥが途中にあった。シンプソンは頂上まで残り2kmという地点において、体のバランスを完全に失ってフラフラの状態となり、ついには倒れた。イギリスチームスタッフはシンプソンに棄権するよう説得したがシンプソンは拒否してまた自転車に跨り始めた。だが残り500mという地点でまた倒れ、ついには起き上がれなくなった。 すぐさま救急ヘリが駆けつけ、シンプソンを病院へと運んだが、既にシンプソンは死亡していた。
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