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トニー・アレン (Tony Allen , 本名Anthony Allen 1982年 1月11日 - )はアメリカ合衆国 イリノイ州 シカゴ 出身の元プロバスケットボール 選手。身長193cm、体重97kg、ポジションはガード 。
経歴
オクラホマ州立大学 で4年間プレーした後、2004年のNBAドラフト でボストン・セルティックス より1順目全体25位で指名を受けNBA入りを果たす。
ルーキーシーズンは77試合に出場(うち34試合に先発出場)を果たし、1試合平均6.4得点2.9リバウンドをマークした。
2年目となった05-06シーズンは平均得点を7.2得点に伸ばしたものの51試合の出場に止まる。
3年目の06-07シーズンはキャリアハイとなる1試合30得点を挙げるなど好調なプレーを見せたが1月10日のインディアナ・ペイサーズ 戦で膝の靭帯を断裂する大怪我を負い、そのままシーズンを終える[ 2] 。1試合平均11.5得点、3.8リバウンド、1.7アシスト、1.5スティール、FG成功率51.4%、FT成功率78.4%など自己最高の成績を残していたが33試合出場に終わった。
4年目の07-08シーズンには怪我を完治させて75試合に出場。しかし、新加入のレイ・アレン やジェームズ・ポージー に出場時間を奪われる形となって、前年より数字を落とした。イースタン・カンファレンス カンファレンスファイナル でアキレス腱 を痛めたため、NBAファイナル第1戦は欠場した[ 3] 。チームとしては22年ぶりの優勝を決め、アレンもファイナルの最終戦では豪快なアリウープを決めるなどした。
2012年のオフシーズン、左膝軟骨損傷の関節鏡視下手術を受けた[ 4] 。
2012-13シーズンのNBAオールディフェンシブチームファーストチームに選ばれた[ 5] 。サンアントニオ・スパーズ とのNBAカンファレンスファイナル 第2戦でマヌ・ジノビリ のファウルを受けた際に、後頭部を強打したかのように転げまわったことに対して、フロッピング行為としてNBAから5,000ドルの罰金を科された[ 6] 。
2017年9月11日、ニューオーリンズ・ペリカンズ と契約した[ 7] 。
2018年2月1日、ニコラ・ミロティッチ 、将来のドラフト指名権とのトレードでオメル・アーシュク 、ジャミーア・ネルソン と共にシカゴ・ブルズ に放出[ 8] 。2月9日、ブルズから解雇され、そのまま引退した[ 9]
レギュラーシーズン
シーズン
チーム
GP
GS
MPG
FG%
3P%
FT%
RPG
APG
SPG
BPG
PPG
2004–05
BOS
77
34
16.4
.475
.387
.737
2.9
.8
1.0
.3
6.4
2005–06
BOS
51
9
19.2
.471
.324
.746
2.2
1.3
1.0
.4
7.2
2006–07
BOS
33
18
24.4
.514
.242
.784
3.8
1.7
1.5
.4
11.5
2007–08
BOS
75
11
18.3
.434
.316
.762
2.2
1.5
.8
.3
6.6
2008–09
BOS
46
2
19.3
.482
.222
.725
2.3
1.4
1.2
.5
7.8
2009–10
BOS
54
8
16.5
.510
.000
.605
2.7
1.3
1.1
.4
6.1
2010–11
MEM
72
31
20.8
.510
.174
.753
2.7
1.4
1.8
.6
8.9
2011–12
MEM
58
57
26.3
.469
.308
.800
4.0
1.4
1.8
.6
9.8
2012–13
MEM
79
79
26.7
.445
.125
.717
4.6
1.2
1.5
.6
8.9
2013–14
MEM
55
28
23.2
.494
.234
.628
3.8
1.7
1.6
.3
9.0
2014–15
MEM
63
41
26.2
.495
.345
.627
4.4
1.4
2.0
.5
8.6
2015–16
MEM
64
57
25.3
.458
.357
.652
4.6
1.1
1.7
.3
8.4
2016–17
MEM
71
66
27.0
.461
.278
.615
5.5
1.4
1.6
.4
9.1
2017–18
NOP
22
0
12.4
.484
.333
.524
2.1
.4
.5
.1
4.7
Career
820
441
22.0
.475
.282
.709
3.5
1.3
1.4
.4
8.1
プレーオフ
シーズン
チーム
GP
GS
MPG
FG%
3P%
FT%
RPG
APG
SPG
BPG
PPG
2005
BOS
7
3
12.9
.444
.000
.429
1.7
.3
.4
.3
2.7
2008
BOS
15
0
4.3
.563
.000
.400
.2
.2
.1
.0
1.3
2009
BOS
10
0
6.0
.500
.000
1.000
.9
.3
.2
.0
.9
2010
BOS
24
0
16.3
.480
.000
.778
1.7
.7
1.0
.6
5.1
2011
MEM
13
13
26.9
.426
.143
.659
2.9
1.5
1.9
.4
8.8
2012
MEM
7
7
24.3
.400
.000
.706
3.1
.7
1.3
1.0
6.9
2013
MEM
15
15
28.1
.432
.250
.759
6.1
1.8
2.0
.3
10.3
2014
MEM
7
1
32.9
.486
.000
.762
7.7
1.3
1.7
.1
12.3
2015
MEM
10
9
27.9
.491
.143
.750
5.2
1.5
2.4
1.1
6.6
2016
MEM
4
2
23.5
.303
.143
.692
2.8
.8
1.3
.5
7.5
Career
112
50
19.2
.447
.106
.716
3.0
.9
1.2
.4
6.0
プレースタイル
運動能力に長けているため、ゴールへ向かい積極的にアタックしていく。豪快なダンクもたまに見せるがジャンプシュートはあまり得意としていない。オールディフェンシブチームへの選出が示すように ディフェンス能力が優れており、特にコービー・ブライアント 、ケビン・デュラント ら、エース級選手へのディフェンスには定評がある[ 10] 。
人物
2005年11月、アレンは、2005年8月にシカゴで銃撃に至った戦いの後、3件の加重暴行罪で起訴されたが、[ 11] 、2007年4月の裁判で無罪とされた。[ 12] 。
脚注
外部リンク